尾形龜之助(1900.12.12-1942.12.2)/大正12年(1923年)、新興美術集団「MAVO」結成に参加の頃。
昭和11年(1936年)までに2人目の夫人との間に3男1女を得ましたが実家の財政悪化から37歳にして初めて市役所税務課の臨時雇のサラリーマン生活を送ります。昭和16年(1941年)までには夫人の3回におよぶ出奔、また喘息、腎臓炎など数々の持病の悪化に悩まされ、実家は膨大な借財を抱え込んでいました。昭和17年(1942年)、尾形は持家を売却し単身下宿生活に入りますが、喘息の悪化から摂食障害に陥り、喘息と栄養失調と全身衰弱から孤独死したのは12月2日と推定されています。
以上は前回掲載した略歴の再掲載ですが、こういう詩人の作品に解説が必要かどうか迷った挙げ句、経歴自体が作品解説になると考え再掲載した次第です。尾形はダダイズムの詩人とされますが、それは当時主流だった象徴詩系抒情詩とはまったく反する作風によるもので、前衛美術との関わり以外尾形にアヴァンギャルドへの志向は稀薄でした。第1詩集『色ガラスの街』には多少既成の抒情詩への反抗が見られる程度です。尾形の3冊の詩集はいずれも些細な日常の断片を切り取ったものですが、『色ガラスの街』はまだ歌い上げるような調子であったものが『雨になる朝』では呟きになり、『障子のある家』は淡々とした散文詩集になります。『色ガラスの街』と『雨に、朝』では詩型や文体に一見変化がありませんが、この第1詩集と第2詩集の間に起こった決定的変化があります。『色ガラスの街』では尾形は尾形なりの詩人であろうとしていました。『雨になる朝』では尾形は自分が詩人であることも、詩そのものもすでに信じていません。
だから第3詩集『障子のある家』が散漫な日常エッセイ集のような散文詩集であるのは当然の帰結であり、30歳をもって尾形は詩作に見切りをつけてしまいます。草野心平の「歴程」の依頼には時折エッセイや新作詩の筆を取りましたが、昔の友人たちとの内輪の近況報告のようなものです。日本の元祖ダダイスト辻潤の発狂(尾形歿後に餓死による孤独死)、『亜寒帯』の詩人で身体障害者だった石川善助の転落事故死など、在京時代の友人たちの不幸はそのまま尾形自身に起こりうる不幸でした。『雨になる朝』からご紹介する第2回目の今回は、詩集でも代表的で尾形の真髄をなす「親と子」「晝」「日一日とはなんであるのか」「家」「白に就て」などが含まれています。
晝の時計は明るい
(「晝」全行)
松林の中には魚の骨が落ちてゐる
(私はそれを三度も見たことがある)
(「白に就て」全行)
この放心の先に予感され、待ち構えているものは何かは言うまでもないでしょう。そして尾形の生涯はその通りの道をたどりました。
第2詩集『雨になる朝』昭和4年(1929年)5月20日・誠志堂書店刊/著者自装・ノート判54頁・定価一円。
親と子
太鼓は空をゴム鞠にする
でんでん と太鼓の音が路からあふれてきて眠つてゐた子をおこしてしまつた
飴売は
「今日はよい天気」とふれてゐる
私は
「あの飴はにがい」と子供におしへた
太鼓をたゝかれて
私は立つてゐられないほど心がはずむのであつたが
眼をさました子供が可哀いさうなので一緒に縁側に出て列らんだ
菊の枯れた庭に二月の空が光る
子供は私の袖につかまつてゐる
晝
太陽には魚のやうにまぶたがない
晝
晝の時計は明るい
夜 疲れてゐる晩春
啼いてゐる蛙に辭書のやうな重い本をのせやう
遲い月の出には墨を塗つてしまふ
そして
一晩中電燈をつけておかう
かなしめる五月
たんぽぽの夢に見とれてゐる
兵隊がラツパを吹いて通つた
兵隊もラツパもたんぽぽの花になつた
昼
床に顔をふせて眼をつむれば
いたづらに體が大きい
無聊な春
鶏が鳴いて晝になる
梅の實の青い晝である
何處からとなくうす陽がもれてゐる
×
食ひたりて私は晝飯の卓を離れた
日一日とはなんであるのか
どんなにうまく一日を暮し終へても
夜明けまで起きてゐても
パンと牛乳の朝飯で又一日やり通してゐる
彗星が出るといふので原まで出て行つてゐたら
「皆んなが空を見てゐるが何も落ちて来ない」と暗闇の中で言つてゐる男がゐた
その男と私と二人しか原にはゐなかつた
その男が歸つた後すぐ私も家へ入つた
郊外住居
街へ出て遲くなつた
歸り路 肉屋が萬國旗をつるして路いつぱいに電燈をつけたまゝ
ひつそり寢靜まつてゐた
私はその前を通つて全身を照らされた
家
私は菊を一株買つて庭へ植ゑた
人が來て
「つまらない……」と言ひさうなので
いそいで植ゑた
今日もしみじみ十一月が晴れてゐる
白に就て
松林の中には魚の骨が落ちてゐる
(私はそれを三度も見たことがある)
白(仮題)
あまり夜が更けると
私は電燈を消しそびれてしまふ
そして 机の上の水仙を見てゐることがある
雨日
午後になると毎日のやうに雨が降る
今日の晝もずいぶんながかつた
なんといふこともなく泣きたくさへなつてゐた
夕暮
雨の降る中にいくつも花火があがる