ハムエッグというと映画『家族ゲーム』(森田芳光、日活'83)の伊丹十三演じる父親が浮かんでくる。この映画は家庭教師の松田優作が一家の独裁者になり暴虐の限りを尽くす(しかも一家は松田に洗脳されてしまう)話だが、まだ映画の最初の方で伊丹十三がハムエッグに文句をつけるのだ。この父はテーブルに皿を置いたまま生の黄身をちゅるちゅる啜るのがハムエッグの醍醐味という人物で、たまたまその朝は固焼きだったので「啜れないじゃないか!いいか、ハムエッグというものは……」と家族に講釈を垂れる。もともと原作小説やシナリオにあったのかもしれないが、このどうでもいいウンチクたれは伊丹十三の一般的イメージそのもので森田芳光の手腕に感心した。日本映画のみならず映画『家族ゲーム』は80年代の小劇場演劇に甚大な影響を与え、テーブルの正面に登場人物が一列、という人物配置が一時期はどこの劇団でも観られたものだった。
筆者は食事に好き嫌いはないが唯一苦手は生玉子で、これをご飯にかけて混ぜて食べるなど爬虫類の味覚だと思う。自炊では必ずしっかり火を通すが、病気入院中に温泉玉子が献立に出た時などは味噌汁に投じて丸呑みして難を逃れた。稀に外食して目玉焼きつき定食など頼むと固焼きの念を押すが、うっかり忘れると黄身が生の目玉焼きが出てくる。こういう場合も仕方ないので黄身を内側にして丸呑みにする。うかつに口腔内で黄身が破裂することがある。身の毛がよだつが我慢して呑み込む。焼けばおいしく食べられるのに生ではたまったものではないのは、これを生肉に置きかえればわかっていただけるだろうか。
こんなことを書くと反感を買う可能性も承知している。2、3年前だがチャーハンを記事にしたところ、筆者の作るチャーハンだから玉子はしっかり炒り玉子状になっている。すると中年女性ブロガーから上から目線で「本格的なチャーハンは半熟玉子が絡んでいるものだ」と抗議が寄せられた。しかし生玉子を食べると即死する人間、いや即死は大げさだが半熟では食べられない人間にそんなことを言われても困る。というか自分の好きなように作る料理に「本格的な」など他人に注意されるいわれはない。この写真のハムエッグだって、撮影した後しっかり火を通してからいただいた。
ところで12インチのフライパンでハムエッグだけ調理するのは燃費が無駄、というよりハムエッグだけでは夕食には寂しいのでガーリック・スライスと豆板醤漬けのポークソテーを一緒に焼く。これはフライパンに乗せたばかりのショットだが、ポークソテーについても何か書こうと思いながら何を書こうとしていたか忘れてしまった。これが人生最後のポークソテーでもないだろうからいずれまた機会があればポークソテーについて気の効いたことでも書いてみたいものだ。まさかポークソテーについて「本格的な~」うんぬんと講釈するほどの野暮はいまい。いるとしたら伊丹十三くらいだが、もう伊丹氏はあっちの世界にいる。