人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

2017年映画日記3月1日~5日/ジョン・フォード(1895-1973)の'30年代監督作品

 アメリカ映画を代表する映画監督といえば並みいる巨匠でも結局ジョン・フォードになるのではないでしょうか。アメリカの映画ジャンル分類はおおむねDrama, Comedy, Action, Adventure, Musical, Western, Crime, War, Historical, Epic, Documentaryに分けられますがフォードが手がけなかったのはミュージカルだけで、ただしフォード作品には歌唱シーンもふんだんに登場するから不足感はありません。また男性的な作風のイメージの強い監督ですがフォード映画の女性は自然に生き生きと描かれており、これもエキセントリックな女性を描いて上手いハワード・ホークスの場合は一種の男性化された女性キャラクターで、また女性映画に定評のあるジョージ・キューカーはゲイ、またウィリアム・ワイラーは実は相当な女嫌いを感じさせるのに対して、男性的視点とはいえフォードの映画は女性への紳士的眼差しが始終一貫しています。フォードが本格的な国民的映画監督になったのは『駅馬車』'39から『静かなる男』'52にかけて、ジョン・ウェインヘンリー・フォンダモーリン・オハラらレギュラー主演陣が揃った主に'40年代(第二次世界大戦で前後に二分される)の代表作によると思いますが、先立つ'20年代までのサイレント作品でめぼしいものは先日観直したばかりなので、初見の作品を含む'30年代作品から5作選んで観てみました。

3月1日(水)Action
『海の底』(フォックス'31)*86mins, B/W
・第1時世界大戦を背景にした海戦もの。ドイツのUボート相手に囮艦の任務を遂行する海軍部隊隊長(ジョージ・オブライエン)が、中立国オランダでのスパイ合戦を経て大胆な作戦を決行する。まだナチス政権も第2次大戦の予兆もない年度の製作なのでドイツ軍の描き方は大戦中ほどきつくないとも、'30年代になってもまだ敵国=ドイツと見做す強い遺恨が残っていたとも取れる。西部劇のフォードを見慣れているとフォードの戦争映画は新鮮なようにも、印象は西部劇とあまり変わりがないようにも見える(『肉団鬼中隊』'34ほど異色作ならともかく)。効果的なスタントによるアクション場面、サスペンスの盛り上げもメリハリがつき、映像と音響のバランスもトーキー初期の違和感を感じさせない。海戦、特に潜水艦ものはハズレがないと言われるのはこの作品くらいの水準を指すのかもしれない。ドイツ軍側のスパイがヒロインだから女性キャラクターの比重は最小限で、戦争映画だから不自然な感じはない(いなくてもいいくらいでもある)。活劇監督の先輩ラオール・ウォルシュ、やや年少のホークスだったらもっと華のある映画にするような題材だが、こういう国家の大事を描く映画のフォードは渋く抑える気配がある。十分面白いがフォード作品中では水準作だろうか。

3月2日(木)Drama
『男の敵』(RKO'35)*91mins, B/W
アカデミー賞監督賞受賞作。アイルランド独立運動の地下組織を除名された男(ヴィクター・マクラグレン)が自暴自棄な気持から指名手配中の闘士を密告し、組織の追及を受ける一種のスパイ映画。これは好みが分かれそう。アイルランド作家の原作によるが(フォードもアイルランドアメリカ人)、ジョセフ・コンラッドの小説にでもありそうな陰謀と裏切りをめぐる陰湿な題材のスパイ映画風シリアス作品で、映像表現は『海の底』より陰影のコントラストが強いサイレント映画の名残がある。主人公の卑小さや哀れさはよく伝わってくるが浅慮な上に軽薄、かつ自己中心的でまったく共感できず、いきなり美しいエンディングももっと突き放してしまっていいんじゃないかと思わせるのは映画としてどんなものか。主人公が追いつめられていく過程も自分から次々ボロを出すだけなので切迫感もなく、こんな男がどうなろうと関心が持てなくなってくる。RKOは2時間テレビドラマのルーツみたいな通俗スリラーが本流だからどさくさ紛れに本作や『市民ケーン』も出てくるが、『ケーン』はともかく本作はアイディア熟成不足のまま作られた作品に見える。クライマックスの地下裁判は(原作通りとしても)フリッツ・ラング『M』'31からの影響は歴然。ヒッチコック同様ドイツ表現主義映画からの影響がときおり生で出るフォードだが、本作は技巧偏重としてもテーマ追求としても中途半端。アカデミー監督賞はキャリアからしてそろそろ賞でもという時期にたまたまシリアス寄りの作品を作ったからではないか。本作ならではの陰鬱なムードがあるのは認められる。

3月3日(金)Comedy
『周遊する蒸気船』(フォックス'35)*81mins, B/W
・観た人なら全員納得の傑作コメディ。フォード生誕100年記念特集上映で晴れて公式日本公開されたが80年代にも字幕なしなら自主上映会などで観ることはできて、十分面白かった。そのくらい映像と演技で物語がわかる。香具師のおっさん(ウィル・ロジャース)は自家用船でミシシッピ川沿いを行商していたが、共同事業者になるはずの甥がアクシデントで(正当防衛で)殺人を犯してしまう。処刑までのわずかな時間で事件の目撃者である放浪預言者を探さなければならず、ようやく証人を見つけたらミシシッピ川の船舶レースに巻き込まれる。ロジャース(本作を遺作に事故死)は舞台俳優のコメディアンで'34年の『プリースト判事』も良かったが、本作はコメディどころかスラップスティックに近く、マルクス兄弟映画のようなやつぎばやのギャグが炸裂する。具体的にはマルクス兄弟唯一の西部劇『マルクスの二丁拳銃』に似ているがあちらは'40年作品なので影響関係はない。クライマックスの蒸気船レースの壮大な馬鹿馬鹿しさとたった3カットで終わる甥っ子救出のエンディングなどあまりに高度な芸術性には絶句するしかない。同年作の『男の敵』と本作のどちらが素晴らしい映画か言うまでもないが、マルクス兄弟映画や本作はアカデミー賞など超越しているから至極当然とも言える。ただしフォードの代表作というにはエピック的風格(神話性、と言っても良い)に欠ける。のち『太陽は光輝く』'54としてリメイクされる。それにしても本作はエキストラの大群から見ても全編セット撮影のはずで、これだけのセットが当たり前のように小品量産喜劇作品に組まれるハリウッド黄金時代の底力には恐れ入る。

3月4日(土)Drama
『ハリケーン』(ユナイト'37)*103mins, B/W
ロバート・フラハティの『モアナ』'26や『タブウ』'31などの南海ドキュメンタリー的舞台に植民地支配のテーマを加え(フランス領事を非情で頑迷な性格に描いている)、クライマックスは大災害パニック映画になるというてんこ盛りの一作。南海映画は原住民、特に女性がほとんどセミ・ヌードなのが売りだが、本作もハリウッド映画のドレスコードでは白人社会が舞台なら不可能で、また海のロケ地もせいぜい西海岸だろうしドラマ部分はほぼ完全にセットと思うと助監督=第2班監督のスチュワート・ヘイスラーを共同監督とする文献があるのも頷ける、こなしきれない分まで人手を借りた無茶なスケール感がある。『海の底』『男の敵』『~蒸気船』より遥かに通俗的娯楽映画のようでフォードならではの風格を感じさせるのは通俗性の中にエピック的神話性があるからで、'40年代フォードの国民的映画監督への躍進を橋渡しした重要作かも。話はハイチ島から1000kmのフランス領の孤島で島一番の美男美女カップル(ジョン・ホール、ドロシー・ラムーア)が新婚早々傷害事件で離ればなれになる。ハイチ島と孤島の両フランス領事は頑として釈放を認めず、花婿は脱走をくり返して拘束は8年あまりに及び、遂に脱走に成功する。そして島にたどり着き、妻と生まれていた娘とも再会を果たすがすぐに司直の手は伸びる。折しも島はかつてないハリケーンの直撃を受け……という次第を生き延びた島の島民理解者の老医師が回想するが、老医師以外の登場人物は全員死亡か行方不明か消息不詳になるすごい映画。ホールとラムーアの健康な美貌、老医師(トーマス・ミッチェル)の貫禄、頑迷なフランス領事(ジョン・キャラダイン)の白人優越主義の挫折など型通りの人物配置が民話的伝承のように運命をたどる説得力には息を飲む。これは面白さでは『海の底』『男の敵』『~蒸気船』と大差なくても本作を格段に人間存在の根本に根ざした作品にしており、『男の敵』のような問題作でも『~蒸気船』のような傑作コメディでなくても人間の運命への深い洞察が筋を通している。『男の敵』『~蒸気船』が個人的なスケールの悲喜劇に留まるのに対して個人を越えた運命に視野が拡大された、とも言える。原住民/征服者の構図が西部劇につながっていくのはいうまでももない。テーマの把握力も前進し、ここまで来れば国民的映画監督まであと一歩に迫った。

3月5日(日)Western
『モホークの太鼓』(20thセンチュリー・フォックス'39)*104mins, Technicolor
・1776年、モホーク(カリフォルニア州の北)に農地開拓のため移住した北部出身の新婚夫婦(ヘンリー・フォンダクローデット・コルベール)が独立戦争の内戦状況に巻き込まれる。通常西部劇は南北戦争(1861年~1865年)から1890年頃までの30年間の西部を舞台とし、南部人と北部人、または南部人同士の対立を南部人観点で主要テーマにするから西部劇としては異色作。'39年のフォードはウェインを初主演に起用した『駅馬車』(本国2月公開)、フォンダを初主演に起用した『若き日のリンカーン』(本国5月公開)と本作(11月公開)の3本で『駅馬車』と『~リンカーン』は名作だから本作の位置は地味。同年の大ヒット作『風と共に去りぬ』の南北戦争に翻弄される家庭劇と似た雰囲気があり、またフォード初のテクニカラー作品とあって製作規模は『駅馬車』『~リンカーン』以上の大作だったはずだが、独立派と王党派の武力抗争に巻き込まれる市民(農園主夫婦だが、王党派は独立阻止のため軍隊を組みインディアンを雇って開拓民の住居や所有地を焼き払う)という一方的な被害者側視点の上に後半で夫が独立軍に召集されるのも積極的に独立を主張している主人公ではないのでやはり仕方なく巻き込まれているだけに見える。「仕方なく」被害にあったり従軍したりの主人公をフォンダが演じると結末でアメリカ合衆国独立に至っても主人公夫婦の運命はただ巻き込まれて右往左往していただけじゃないかと感動的なはずの合衆国独立から浮いてしまって、フォンダのようなインテリタイプの優男ではなくそれこそ'30年代前半のフォード作品の常連だったオブライエンやマクラグレンら、ウェインに連なる肉体的な存在感のある主演俳優だったら良かった。知的で理性的なフォンダを主演にした理由もわかるのだが、歴史ドラマと人間ドラマが上手く噛み合わなかった意欲的な失敗作なのが面白い。映画の面白さは失敗作にもある。ちなみにフォード作品初のカラー映画としては大成功。日本では戦後公開でB/Wプリントで上映された、当時の事情ではよくあったことらしい。