キング・ヴィダー(1894-1982)はジョン・フォードと同年生まれですがキャリアはヴィダーより10歳年長世代の監督たちと同時期になるほど早くから一本立ちし、初監督作はまだアメリカ映画が長編化していなかった1913年(ヴィダー18歳!)まで遡ります。チャップリンのデビューの前年です。初長編が1920年の瑞々しい傑作『涙の船唄』The Jack Knife Manで(チャップリンの初長編『キッド』が1921年)、以来1930年代末までに、
『ビッグ・パレード』The Big Parade (1925)
『ラ・ボエーム』La Boheme (1926)
『群衆』The Crowd (1928)
『ハレルヤ』Hallelujah! (1929)
『ビリー・ザ・キッド』Billy the Kid (1930)
『街の風景』Street Scene (1931)
『チャンプ』The Champ (1931)
『南海の劫火』Bird of Paradise (1932)
『シナラ』Cynara (1932)
『麦秋』Our Daily Bread (1934)
『結婚の夜』The Wedding Night (1935)
『薔薇は何故紅い』So Red the Rose (1935)
『テキサス決死隊』The Texas Rangers (1936)
『ステラ・ダラス』Stella Dallas (1937)
『城砦』The Citadel (1938)
などのヒット作があります。つまり1930年代のヴィダーは新作をことごとくヒットさせた人気監督でした。『ビッグ・パレード』は1930年(トーキー映画開発2年目)の時点でアメリカ映画の歴代興行収入4位、うちトーキー以前では『黙示録の四騎士』(450万ドル)、『ベン・ハー』(400万ドル)に次ぎ、『国民の創生』『幌馬車』と並ぶ350万ドルの興行収入でサイレント映画第3位のヒット作になりました。ただヴィダーの場合はヒット作のピークが1920年代~1930年代にあり(40年代以降も『北西への道』'40、『白昼の決闘』'46、『摩天楼』'49、『東は東』'52、『戦争と平和』'56、『ソロモンとシバの女王』'59などがありますが)、1930年代後半~1960年代初頭にピークがあったジョン・フォードや2歳年下のハワード・ホークスより古い世代、ヘンリー・キングやラオール・ウォルシュら1880年代半ば生まれの監督のような印象があります。ヴィダー作品は簡潔ですっきりした味わいと暖かみがあり、技巧家でありながら技巧よりものびのびとした自由さを感じさせるもので、ただし早熟と晩熟を兼ねたフォードやホークスの老練さと較べるとどこか万年青年みたいな面のある人でした。ベルイマン全作品踏破などと無謀な映画鑑賞を1か月半続けた直後ですので、口直しに今回はヴィダー'30年代のヒット作を数本まとめて観直してみました。
●8月18日(金)
『ビリー・ザ・キッド』Billy the Kid, US TV title The Highwayman Rides (アメリカ/MGM'30)*96min, B/W, Standard
・長編映画のビリー・ザ・キッドものでは最初期のもの。実在のビリー・ザ・キッド(1859-1881)の伝記を原作にビリー・ザ・キッドにジョン・マック・ブラウン、保安官パット・ギャレットにウォーレス・ビアリーという配役で、ヴィダーとしてはトーキー第1作で全員黒人キャストのミュージカル『ハレルヤ』に続く作品。1880年頃のニュー・メキシコ州はリンカーン軍の役人ドノヴァン(ジェームズ・マーカス)が法を牛耳り私腹を肥やしていた。イギリス人移民タンストン(ウィンダム・スタンディング)は開拓者マクスィーン(ラッセル・シンプソン)とともにこの地で牧場経営を始めたが、ドノヴァンの執拗な恐喝と嫌がらせに遭う。ビリー・ザ・キッドはかねてからドノヴァンの暴政を憎んでタンストンの用心棒となり、保安官パット・ギャレットはビリーの違法的抵抗を憎みながらもビリーの正義感には同調する。イギリスからタンストンの婚約者クレア(ケイ・ジョンソン)が訪れ、ドノヴァンの手下がタンストンの殺害を企てたのを知ったビリーは事前に手下を射殺する。タンストンは結婚のためマクスィーンの家に向かう途中ドノヴァンの配下に襲撃され射殺される。ビリーは激怒しタンストン殺害犯を追跡し射殺する。ドノヴァンはマクスィーンらを共謀犯と見なし、ついにビリーたちはマクスィーンの家に立てこもりドノヴァン一味と3日3晩に渡って決戦する。マクスィーン夫人とクレアとは避難を許されたが飲み水の不足がビリーらを弱らせ、マクスィーンもついに銃撃戦で死亡する。三夜目に放火されたビリーたちは窮地に陥るがビリーはドノヴァンを倒し逃亡する。保安官パットは駐屯軍の将軍に依頼して岩場の砦のビリーに降伏を呼びかけるがビリーは応じず、パットは洞窟にビリーを追い込み飢えさせて、ベーコン炒めの煙でビリーを降参させ捕らえる。ビリーは絞死刑を宣告されるが、パットを誘いポーカー中に油断させて拳銃を取り上げ、仇のバリンジャー(ワーナー・リッチモンド)を射殺し逃亡する。クレアは隠れ家でビリーと会うが、パットの追跡にビリーは深夜国境にむかって逃げる。クレアがパットの馬を借りてビリーの後を追う場面で映画は終わる。これだけのことが90分強の映画で起こるので息もつかせない。まだサイレントの語法が残っていて場面転換が字幕画面で済まされる場合も多いが、トーキー初期の映画はサイレントから一転してテンポが落ちた中でサイレント時代以上にテンポを加速したヴィダーは例外的。現代映画を見慣れた目ではこの展開の速さにはうかつに観ると置いてけぼりをくらうのではないか。十分な情報はちゃんと描かれており語り口には余裕があるほどなのだが、雰囲気で余情を流す場面がなく当然説明のための説明はしないから懇切丁寧な現代映画の作りとは違ってぐいぐい進む。遊びの場面もちゃんとあって、籠城したが放火された家の中でビリーが燃える柱の炎で煙草に火を点け、倒れた仲間たちの銃を集めて腰のガンベルトにずらりと巻きつけるシーンなど格好良すぎて笑えてすらくるし、また洞窟に追い詰められたビリーを保安官パットがベーコン炒めで投降を呼びかけるあたり絶対史実とは違うと思うが、ギャグではないギャグだけにギャグ以上に可笑しい。ビリー・ザ・キッド映画というと後のポール・ニューマン主演のアーサー・ペン作品『左きゝの拳銃』'58やクリス・クリストファーソン主演のサム・ペキンパー作品『ビリー・ザ・キッド21才の生涯』'73も製作された時代を反映した名作だが、ペキンパー作品の深い虚無感を思うと本作の時代のアメリカは健康だったんだな、としみじみ感慨に襲われる。
●8月19日(土)
『チャンプ』The Champ (アメリカ/MGM'31)*86min, B/W, Standard
・1979年にオリジナルである本作にほぼ忠実な、チャンプ(ジョン・ボイト)、息子ディンク(リッキー・シュローダー)、ディンクの母リンダ(フェイ・ダナウェイ)のキャスティングでフランコ・ゼフェレリによるリメイクが大ヒット。そのくらい良くできている。オリジナルのヴィダー版はアカデミー賞脚本賞とチャンプ役ウォーレス・ビアリーがアカデミー賞主演男優賞に輝き、息子ディンクはジャッキー・クーパー、その母リンダはアイリーン・リッチ、リンダの再婚相手トニーはヘール・ハミルトンという配役で、'79年版リメイクよりも雰囲気はチャップリンの父子(拾い子だが)ものの名作『キッド』'21に近い。メキシコの国境の町に住む元ヘヴィー級チャンピオン、チャンプことアンディーは幼い息子のディンクを可愛がっていたが、酒とギャンブル浸りのアンディーは息子に崇拝されながらボクシングへの復帰に踏み切れない。ある日チャンプは思いがけなくギャンブルで大勝ちし、ディンクが欲しがっていた競馬馬を買ってう。競馬の日ディンクは競馬場で、この町に来遊中の富豪トニー・カールトンの妻リンダと遭う。リンダも持ち馬を競馬に出していたが、少年に乞われディンクの馬に賭ける。ディンクの馬は騎手が落馬しリンダの馬が勝つ。チャンプと仲間が素寒貧になる一方、リンダはチャンプと再会しディンクが自分の残していった子であるることを知る。リンダはアンディーがチャンピオンになった時結婚したが性が合わず、ディンクを産んで間もなく離婚しトニーと再婚した。リンダはトニーとの間に娘も授かっていたが、息子ディンクの貧乏で教育も受けられない環境を見るに忍びず自分の手元に引き取り立派に教育もさせたいと申し入れるも、チャンプは承知しない。その夜チャンプはまたギャンブルで大負けしディンクの馬まで抵当に取られる。ディンクは悲しみ、チャンプはリンダに頼み金を借り馬を買い戻そうとしたが、またギャンブルで大負けした挙げ句喧嘩して牢に入れられる。チャンプは後悔し決心して嫌がるディンクをリンダに預ける。しかしディンクは途中で汽車を降りて帰ってきてしまう。リンダの夫トニーもディンクを養子に迎えるのを望んでいたがチャンプとディンクは引き離せないと理解を示す。奮起したチャンプはメキシコの選手権争奪試合出場に向かう。ブランクの長いチャンプに勝ち目がないのはディンクでさえ覚悟していたがチャンプはディンクのためチャンピオンに返り咲き賞金を得たい一心でついに敵をノックアウトする。しかし心臓を悪くしていたチャンプは試合中に無理が祟り、勝利の直後急死する。孤児となったディンクは初めてリンダに「ママ!」と泣き崩れトニーの慰めの下リンダに引取られる。ゼフェレリ版は2時間を越える長さでオリジナルより30分以上長いが父子家庭の日常や、息子を置いて家出し離婚・再婚した母リンダの悩みに多くの描写を割いて『ロッキー』や『クレイマー・クレイマー』の後発作品らしい、大人の事情に人情劇のウェイトをかけていた。大学出にしか見えないジョン・ボイトのチャンプと違ってウォーレス・ビアリーのチャンプはボクサー引退以来酒とギャンブルしか楽しみのない無趣味な男で、そういう男の哀感が一筆描きでさらっと描けている。母リンダも同様でしつこく悲しみを強調されはしないし、リンダの再婚相手トニーはチャンプとは反対の性格の上に上流富裕階級の実業家だが、チャンプとトニーはおたがい対等に相手の立場を尊重している。ディンクがカールトン家を訪ねてなかなか可愛い幼い異父妹が「こんにちは、お兄さま」とディンクを歓迎してもたれかからんばかりにすり寄ってくる場面があり、まだリンダが母とは知らないディンクが「いかれてやがら」と迷惑そうに異父妹をかわすのだが、こうした一見他愛ないエピソードでも印象づけられるように本作がリメイク版と違うのは少年ディンクの感性と視点から描かれて万事あっさりと進行していく点で、チャンプが酒とギャンブルで醜態をさらし自業自得の墓穴を掘っても息子ディンクには自慢のチャンプだから決して悲惨にも痛切にも描かれない。それでも映画が薄っぺらくもなく無駄なく進むのは子役ジャッキー・クーパーとチャンプのウォーレス・ビアリーの存在感をいかにヴィダーが生かしきったかの賜物で、クーパーとビアリーの無垢な親子愛はゼフェレリ版のシュローダー少年とジョン・ボイトの名演をしても再現ならず、もっと都会的なものになっている。ゼフェレリ版はダナウェイにウェイトをかけていてそれはそれで成功しているが、ヴィダー版の少年的清冽さとは違う。ディンク少年の感性と視点で一貫しているからこそ少年の目にすら勝ち目のないカムバック戦の悲愴さが際立ち、チャンプの死に直面して初めてカールトン夫人を「ママ!」と受け入れる遺児の悲しみと、あっさりエンドマークが打たれた余韻が残る。ヴィダー版とゼフェレリ版、両方観たら現代の観客のほとんどがゼフェレリ版の感動に軍配を上げるだろうが、映画としての狙いや成り立ちがそもそも違う。むしろゼフェレリ版の50年前にこれほど感動的なヴィダー版があったことこそ刮目されるべきだろう。