人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

「ジジイ!さっさと首吊って死ね!」

イメージ 1

 筆が穢れるようなことはあまり書きたくないのだが――昨年7月に「コンビニで大喧嘩」の話を載せて以来だが(ブログ内検索していただければ見つかります)――筆者の住んでいるような郊外の田舎町でも夜の街では嫌な光景を見ることがある。しかも普段なら夜ともなれば誰ともすれ違わないような裏通りの出来事だ。昨夜はひさびさにそういう嫌な光景を見た。タイトルは、「ジジイ!さっさと首吊って死ね!」にしようか。
 または、他人に「死ね!」と言える人間。

 夜11時、人気もなければ灯りも数十メートルおきに赤提灯の灯しかないシャッター商店街の裏通りを、コンビニで忘れていた公共料金を払って歩いて来る途中、酒場の前を過ぎたあたりで向こうの歩道から煙草を喫いながら歩いてくる男を見た。この裏通りをこの時間に歩いて人とすれ違うのは珍しい。初老というにはちょっと若い、50代初めくらいの中年男だった。こんな寂れた夜道を歩くのに煙草を喫いたくなるのも無理はない。持ち歩いていれば、つられて自分も喫いたくなったところだ。

 そこに「ちょっと、歩道で煙草は止めてくれませんか!」ときつい男の声がした。見ると、中年男の後ろにバックパックを背負った、中年男より背の高い、というか丸々太った若い男がいる。中年男は無言で壁に煙草をもみ消し、中途半端な喫い殻をポケットに入れた(後で続きを喫うのだろう)。中年男は若い男に向き直って小首を傾げ、「歩きながらイヤホンも止めたら?」と言った。なるほど、若いデブはピアスをした両耳にイヤホンをしているようだ。

 若いデブはそれでキレた。「イヤホンは迷惑でも何でもない!」「危険だろう?」「イヤホンは危険じゃない!」若いデブは手に持った500mlのお茶のペットボトルを振りかざしながら、「後ろから自転車でも来ない限り何の危険もないって認められてるんだ!煙草は違う!毒ガスを撒き散らしているんだぞ!」中年男は呆れた様子でキレた若いデブを見ていたが、やれやれといった調子で歩き始めた。「馬鹿野郎!謝罪もできないのかジジイ!このキチガイ!さっさと首吊って死ね!」向こうから歩いてきたから進行方向は同じだったはずだが、若い太った男は背を向けて逆方向に歩き始めた。暗いので、すぐにもうキチガイジジイ呼ばわりされた中年男も「さっさと首吊って死ね!」と怒鳴ったデブの姿も見えなくなった。

 仮に自分が煙草を持ち歩いていて、こんな夜中だし誰もいない田舎町の裏通りだし、歩いているだけでは寂しい道だから煙草でも喫いながら帰るか、とやっていたら、「毒ガス撒き散らしやがって!キチガイジジイ!さっさと首吊って死ね!」と食ってかかられたのは他人事ではなかったわけだ。この若い太った男が行きずりの、そして身近な人間にまでこれまで何度も「死ね!」と罵倒してきたのは想像に難くない。たぶんこいつはまだ独身の男だろうし社会人でもないのかもしれないが、たぶん親兄弟にすら罵倒しているように結婚すればいずれ妻や子に、就職すれば自分より低い立場の同僚に、そして接する機会のあるあらゆる社会的弱者に「死ね!」と罵倒するのもまず間違いない。

 こういう他人に罵詈雑言を吐き、独善(?)的に死刑(自殺脅迫)宣告までしてたぶん何の疑いも持っていない男にはぜひ独裁者にでもなってもらい、煙草も酒も清涼飲料水もガソリンエンジン車も発電所も夜のイルミネーションも歌舞宴曲一般も、義務教育制度も福祉制度も医療全般も中途半端な司法制度も、物理的または衛生学的害毒もしくはエコロジーの観点からすべて禁止または全廃させてみればいい。そうすれば彼にはこの世でムカつくことは「死ね!」と当たり散らす相手がいなくなくなる以外にはなくなるだろう。早い話、どこか宇宙の彼方にでもあいつ一人を流せば良い。さもなければ「死ね!」と望んだ通りにすべてが死に絶えた星でたった一人になれば良い。自分がそういう人間であるか、そんな程度の想像力もあの脂ぎったデブのガキ(と悪意と軽蔑をこめて呼ぶが)は持ちあわせていないだろうが。

 あの「キチガイジジイ!さっさと首吊って死ね!」は彼から見た世界のすべてだろうからその中にはこの文の筆者も含まれている(「毒ガス(!)撒き散らし」ている男だし)。昨夜「首吊って死ね!」と罵倒されて帰ってきたのはぼく自身でもあるのだ。たぶんこういう傲慢さは、あの若いデブの年代では今や普通になっている。中世の歴史にもこういう種類の人間はいくらでもいる。たぶんあと2,000年後にも。こういうやつらにこそ未来永劫ある種の決定的手段が必要なのだ。しかし、いかにして……。

(公平を期して筆者は障害者手帳=精神保健2級取得、離婚して身よりも友人もなく健康上の理由から無職で生活保護福祉を受給し最低限の療養生活を営んでいる、他の方々はともあれ、筆者に即しては社会の最底辺に属する人間であることを、勇気をふるって言明しておきます。)