人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年9月27日・28日 /『フランス映画パーフェクトコレクション』の30本(14)

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 フランスの20世紀後半の映画の中で、おそらくもっとも広く観られていて人気が高く、特に映画好きの人でなくてもタイトルが浸透している作品は候補はいくつか上げられますが、中でもポピュラー性の点でずば抜けて際だっているのは『禁じられた遊び』'52ではないでしょうか。イタリアの少年残酷物語『靴みがき』'46(監督ヴィットリオ・デ・シーカアカデミー賞外国語映画賞受賞作)を(皮肉をこめて)「戦後映画唯一の傑作」と絶讃したのはオーソン・ウェルズですが、メキシコ版『靴みがき』の少年残酷物語『忘れられた人々』'50の監督、ルイス・ブニュエルが人に勧められて観て絶讃を惜しまなかったのがアカデミー賞外国語映画賞受賞作『禁じられた遊び』で、ナルシソ・イエペスのギターだけの主題曲もあって、映画の実物を観ていない人にもよく知られているように『禁じられた遊び』は戦災孤児の少女(というより5歳ですからほとんど幼女、童女)のお墓作りごっこの映画、という陰惨極まりない物語です。ヴェネツィア国際映画祭グランプリに輝いた同作はアメリカでもアカデミー賞最優秀外国映画賞受賞作となり(当時の外国語映画賞の呼称はアカデミー賞名誉賞でしたが)、日本でも反戦映画の感動的名作と大評判になりぶっちぎりでキネマ旬報外国映画ベストテン1位を獲得して名画座の定番になり、ゴールデンタイムにテレビ放映もされ原作小説のロングセラーとともに長い人気を誇り、この2018年9月にはデジタル修復版のリヴァイヴァル上映もされました。また今回ご紹介するもう1本『白い馬』'53は中編映画ですが、カンヌ国際映画祭グランプリ(短編賞)を受賞し、監督のアルベール・ラモリスはその後も『赤い風船』'56(再びカンヌ国際映画祭グランプリ短編賞受賞)、長編『素晴らしい風船旅行』'60などで「映像詩人」と呼ばれた人で、『禁じられた遊び』といい『白い馬』といいうさんくさいことこの上ないと正常な感覚の人(タイトルだけで『この世界の片隅に』とか『君の膵臓を食べたい』などという映画には拒否反応が起こる人)には思えるような映画ですが、さて『禁じられた遊び』や『白い馬』はどうか。なるべく楽しい感想文になればいいなと思います。なお今回も作品解説文はボックス・セットのケース裏面の簡略な作品紹介を引き、映画原題と製作会社、映画監督の生没年、フランス本国公開年月日を添えました。

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●9月27日(木)
禁じられた遊び』Jeux interdits (Silver Films=Les Films Corona, 1952)*87min, B/W : 1952年5月9日フランス公開
監督:ルネ・クレマン(1913-1996)、主演:ブリジット・フォッセー、ジョルジュ・プージュリイ
・第二次大戦下の南仏、幼いポーレットは両親と愛犬を失う。以来、彼女は墓を飾る十字架を盗むようになり、大騒動を巻き起こしてしまう。N・イエペスの主題曲も有名な傑作。第25回アカデミー賞で名誉賞を受賞。

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 日本公開昭和28年(1953年)9月6日、キネマ旬報昭和28年度外国映画ベストテン1位(2位『ライムライト』、3位『探偵物語』)、ヴェネツィア国際映画祭グランプリ、アカデミー賞名誉賞(のちの外国語映画賞)、NY批評家協会賞外国映画賞、英国アカデミー賞作品賞(総合)、ブルーリボン賞外国作品賞と世界の映画賞を総なめにした本作は、公開当時キネマ旬報近着外国映画紹介では「戦争映画」のジャンルで紹介されていましたし、映画の設定も大戦まっただ中の1940年のフランスの田舎の村の一家に拾われた戦災孤児の5歳の女の子の話ですから、実際に戦災孤児問題がまだなまなましかった終戦7年目の1952年には戦災孤児問題を扱った反戦映画と観られたでしょうし、そういう見方で観客は本作に感動し全世界がぼろぼろ泣いた国際版『二十四の瞳』'54(監督・木下恵介)のような映画ではないか、というのが歴史的な位置づけとしては一応の前提だと思います。戦後フランス映画の潮流である「心理的リアリズム」は脚本家ジャン・オーランシュピエール・ボストのコンビが悪しき典型をなしている、と指弾したのは批評家時代のフランソワ・トリュフォーの'54年1月発表の評論「フランス映画のある種の傾向」で、トリュフォーは人気脚本家コンビのオーランシュ&ボストが手当たり次第に文学作品を脚色・映画化し、「原作に忠実」と謳いながら反戦・反宗教(カトリック)的場面を隙あらば創作挿入すること、結果原作に忠実でもなければ戦後の反戦・反宗教思潮のムードにおもねって映画自体が類型化していることを激しく糾弾したものでしたが、映画監督たちについてはルネ・クレマンだけをコラムに設け「才能ある監督だがオーランシュ&ボスト脚本の『鉄格子の彼方』『禁じられた遊び』で才能を浪費している」として次回作『しのび逢い』はレイモン・クノーの脚本というから期待したい、としています。トリュフォーが批判する反戦・反宗教(カトリック)要素は本作には満ち満ちていますし、筆者は読んだことがありませんが角川文庫のロングセラーだった原作小説もオーランシュ&ボストの脚色以前にそういう小説なんじゃないかと思いますが、トリュフォーも映画監督としての力量は当時の監督中随一と認めたクレマンは『居酒屋』'56や『太陽がいっぱい』'60の監督になる人でもあるわけで、映画に本心なんかちっともこめてはいないし人間やら心理やらを描く気などもこれっぽっちもない、技巧的なのではなく技巧そのものにしか関心のない徹底した冷血映画監督で、要は映画の腕前で観客を振り回すことに全力を尽くしている人なので、性格としてはアメリカのスクリューボール・コメディの監督に近いし、フランスの監督では少し年長のジョルジュ=アンリ・クルーゾーに近く、もっと言えばはっきりと技巧家を自負したアルフレッド・ヒッチコックに近い自覚から映画を作っていた節があります。オーランシュ&ボスト脚本でもジャン・ギャバン主演作『鉄格子の彼方』'48はクレマンの手腕で戦前のギャバン主演作『地の果てを行く』'35や『望郷』'37、『霧の波止場』'38の戦後版リメイクのようなパロディ寸前の作品ながら戦後のギャバン主演作が軒並み監督の腕前が悪いのに較べると段違いに優れた映画でしたし、シャーリー・テンプル映画に発情したエッセイを書いて非難を浴びたグレアム・グリーンのような小説家も戦前にいましたが、『禁じられた遊び』は反戦・反宗教は隠れ蓑で、端的に言えば5歳の幼女に魅惑された10歳くらいの少年がせっせと貢ぎ物をする話です。この場合少年も幼すぎますから性的な感情はありませんし幼女の方も誘惑している気はさらさらない。亡命ロシア人作家ウラジーミル・ナボコフが英語で書いた長編小説『ロリータ』をフランスで刊行するのは'55年8月ですから(真っ先に絶讃したのはナボコフと同世代のグレアム・グリーンです)『禁じられた遊び』の方が早い。しかも5歳児のヒロイン映画とは映画史上初の実験だったはずで(映画史上で子供視点から子供たちの世界を描いた映画は小津安二郎『生まれてはみたけれど』'32、ジャン・ヴィゴ『新学期・操行ゼロ』'33というのが定説ですが、小学生たちが主人公でした)、また本作は小学生が観ても理解はできない映画なので(その点も小学生の感性で理解できる『生まれてはみたけれど』『新学期・操行ゼロ』とは違います)、大人の観客にとって本作は幼女鑑賞映画になっているのが反戦・反宗教メッセージ以前の楽しみになっている。フランス映画はのちに母を亡くした幼稚園児の幼女映画『ポネット』'96(監督ジャック・ドワイヨン)を記録的大ヒット作にし、同作のヒロインは5歳でヴェネツィア国際映画祭主演女優賞を受賞しましたが(出演は4歳時)、『ポネット』も原型は『禁じられた遊び』にある「肉親の死に直面した幼女」の設定を引き継いでいるので、ドワイヨンは母親を交通事故死で亡くした幼女が母の死を認識するまでを丁寧に描きましたが、クレマンは直截に観客へのショックを目的に作っているのでまかり間違ってもメッセージありきの映画ではないのです。本作のキネマ旬報近着外国映画紹介はあらすじを伝えて手際が良いので資料的価値込みで引いておきます。解説末尾のリヴァイヴァル上映の付記はデータベース上で追加されたものです。
[ 解説 ]「ガラスの城」のルネ・クレマンが監督した一九五二年作品。戦争孤児になった一少女と農家の少年の純心な交情を描くフランソワ・ボワイエの原作小説を「肉体の悪魔」のコンビ、ジャン・オーランシュピエール・ボスト、それにクレマンが共同で脚色した。台詞はオーランシュ、ボスト、原作者ボワイエの三人。撮影は「ドイツ零年」のロベール・ジュイヤール、音楽はナルシソ・イープスの担当。出演者はクレマンが見出したブリジット・フォッセーとジョルジュ・プージュリーの二人の子役を中心に、リュシアン・ユベール、スザンヌ・クールタル、ジャック・マラン、ローレンス・バディら無名の人たち。なおこの作品は五二年のヴェニス映画祭のグランプリとアカデミー外国映画賞を受賞した。2018年9月1日より2Kデジタル版(日本語字幕新訳)を上映(配給:パンドラ)。
[ あらすじ ] 一九四〇年六月のフランス。パリは独軍の手におち、田舎道を南へ急ぐ難民の群にもナチの爆撃機は襲いかかって来た。五歳の少女ポーレット(ブリジット・フォッセー)は、機銃掃射に両親を奪われ、死んだ小犬を抱いたままひとりぼっちになってしまった。彼女は難民の列からはなれてさ迷ううち、牛を追って来た農家の少年ミシェル(ジョルジュ・プージュリー)に出会った。彼は十歳になるドレ家の末っ子で、ポーレットの不幸に同情して自分の家へ連れ帰った。ドレ(リュシアン・ユベール、スザンヌ・クールタル)家では丁度長男のジョルジュ(ジャック・マラン)が牛に蹴られて重傷を負い、大騒ぎしているところだった。ポーレットはミシェルから死んだものは土に埋めるということを始めて知り、廃屋になった水車小屋の中に彼女の小犬を埋め十字架を立てた。墓に十字架が必要なことを知ったのも彼女にとって新知識であり、以来彼女はこのお墓あそびがすっかり気に入ってしまった。ジョルジュは容態が悪化して急死した。そのとき、隣家のグーアル(アンドレ・ワスリー)の息子フランシス(アメデー)が軍隊を脱走して帰って来た。グーアル家とドレ家は犬猿の仲だったが、フランシスとドレの娘ベルト(ローレンス・バディ)とは恋仲であった。ジョルジュの葬式の日、ドレは葬式馬車の十字架がなくなったことに気づいたが、これはミシェルがポーレットを喜ばすために盗んだのだった。ミシェルは更に教会の十字架を盗もうとして司祭(ルイ・サンテーブ)にみつかり、大叱言を喰った。しかしミシェルとポーレットはとうとう教会の墓地まで出かけて、たくさんの十字架を持ち出した。ジョルジュが死んではじめての日曜日、ドレ一家は墓参に出かけたが、ジョルジュの墓の十字架がなくなっているのを見て、ドレは、グーアルの仕業にちがいないと思い込み、そこへ来たグーアルと大格闘をはじめた。しかし司祭の言葉で盗んだのはミシェルだとわかり、ドレはミシェルが何のために十字架を盗んだのか理解に苦しんだ。翌朝、ドレ家に二人の憲兵が訪れた。ドレはてっきり十字架泥棒がばれたものと思ったが、実はポーレットを孤児院にひきとりに来たのだった。ミシェルの必死の懇願にもかかわらずポーレットは連れさられた。雑踏する駅の一角、ポーレットは悲しく母を呼び求めて、ひとり人々の間を駈け去って行った。
 ――この突き放すような結末に公開当時の観客は唖然とし、今観ても本作がすごいのは基本は不幸のジェットコースター・ムーヴィーで、機銃掃射で父親も母親も同時に死に(この両親役は実際にヒロインの両親が演じており、児童心理カウンセラーが撮影に付き添って幼女をケアする配慮を配ったという『ポネット』とやり方は違いますが、映画と現実は別物と納得させる配慮が『禁じられた遊び』でも行われたことを示します)、抱いていた愛犬も死んで「死んでるじゃないか」と通りかかった人に橋下の川に投げ捨てられ、その犬の死骸を追って川辺に下りていくうちに農家ドレ家のミシェル少年と出会うわけですが、少年の家では長男が牛に蹴られて瀕死の騒ぎでどさくさ紛れに幼女は屋根裏部屋においてもらえることになります。少年の姉娘はいがみ合っているグーアル家の息子と恋してしょっちゅう逢い引きしており、幼女ポーレットはミシェル少年に教わって犬の墓を作りますがそれをきっかけに小動物の墓作りに熱中し始めます。ミシェル少年の姉娘ベルテはたがいの家にばれないように納屋や野原を恋人との逢い引きの場所にしていて、ポーレットの墓作りのためにせっせと十字架を自作したり盗んでいる弟ミシェルの行動に気づきますがおたがいが秘密を握っているので明かせない。牛に蹴られた長男は亡くなりますが、葬儀の場で棺に掲げた十字架の紛失(ミシェル少年が盗んでいた)にいがみあうグーアル家の仕業と思い込み、さらに墓地からの大量の十字架盗難事件(姉娘ベルテは目撃していましたが逢い引きの最中だったので隠しています)もグーアル家の仕業と思いグーアル家の墓地を滅茶苦茶にして復讐しますが、ミシェル少年の教会の十字架盗難未遂を見咎めていた司祭によって十字架盗難事件はすべてミシェル少年の仕業と明かされ、賠償金に悩むドレ家に警察がついに訪ねてきて、グーアル家とのいざこざではなく届け出を出していた戦災孤児ポーレットの引き取りと気づいてミシェル少年は十字架は全部返すからポーレットを家に置いてやってと頼んで隠し場所の水車小屋を白状しますが、ポーレットは引き取られていってしまいます。ミシェル少年は水車小屋に駆けつけ十字架を次々と川に投げ捨てます。一方ポーレットは赤十字のシスターと施設に向かうためごった返す駅にいますが、シスターがちょっと待っててね、と離れた隙に雑踏の中で「ミシェル!」と呼ぶ声を聞き、ミシェルの名を呼びながら一目散に雑踏の中に消えていきます。5歳の女児が雑踏の中に行方不明になるという衝撃的な結末は今観てもすごいので、戦災孤児の映画には違いありませんし十字架を小動物のお墓作りにして、結末ではポーレットを失ったミシェル少年が川にどしどし盗んで貯めていた十字架を捨てるのは反宗教的・涜神的には違いないですがエモーションは反戦メッセージや反宗教にはないので、ポーレットのお墓作りは突然の両親や愛犬の死に直面して生き残った幼女が思いついた(ミシェル少年から教わった)鎮魂の儀式なのが直接的に伝わってきますし、ミシェル少年が水車小屋に貯めこんだ十字架を川に投げ捨てるのは十字架の宗教的意味ではなく十字架を貢ぐ相手だったポーレットが突然連れ去られて二度と会う可能性すら無くなったからです。ポーレットがどさくさ紛れでドレ家に置いてもらえたのは長男ジョルジュが牛に蹴られててんやわんやという谷岡ヤスジ的状況だったからですし、ミシェルがポーレットに貢ぐための十字架泥棒に姉娘ベルテが気づいていながら話せないのはグーアル家のフランシスとの逢い引きといつもかちあってしまう(これも谷岡ヤスジ的)からで、ジョルジュの葬儀が終わってようやくドレ夫妻が戦災孤児の届け出を出していたのもドレ家とグーアル家の格闘で本人たちも損害賠償の方で警察のお世話になるのを心配していて閑却していましたがしっかり届け出をしていたわけで、この田舎ホームドラマはコメディではあってもメロドラマではなく、徹底してドライで猛スピードで展開し、古代ギリシャ演劇からドラマはバッドエンドで終わるのが悲劇(トラジェディ)、ハッピーエンドで終わるのが喜劇(コメディ)ですが『禁じられた遊び』はバッドエンド・コメディ、しかも幼女と少年二人だけの秘密の遊びというメルヘン的で抒情的設定を設けながらやっていることは十字架泥棒と小動物のお墓作りという陰惨さなので、この脚本はオーランシュ&ボストのものだとしても完璧な均整の茹で玉子のようにツルッと仕上げてみせたのはクレマンの冴えに冴えた演出・監督技巧です。ロッセリーニの『ドイツ零年』'51のロベール・ジュイヤールの撮影も素晴らしく、ポーレットとミシェル少年ばかりか素人キャストばかりを起用し、撮影予算で経費を使い切ったから音楽はナルシソ・イエペスのスパニッシュ・ギター独奏だけなのも全部成功しています。10年に1本の映画というのはこういう奇跡の映画を言います。真に名作かどうかとは別の次元で、ここでは空前の達成がすんなり行われており、あのブニュエルすら惜しげもなく絶讃したのは本作の残酷映画としての完成度と本質的な諧謔味を見抜いたからこそであり、『ロリータ』以前の『ロリータ』映画という先見性を予知していたからと思われるのです。

●9月28日(金)
『白い馬』Crin-Blanc (Films Montsouris, 1953)*40min, B/W : 1953年3月フランス公開
監督:アルベール・ラモリス(1922-1970)、主演:アラン・エムリイ、ローラン・ロッシュ
・フランス南部のカマルグに生息する野生馬の群れ。群れを率いるのは「白毛」と呼ばれる気性の荒い白馬だった。人間嫌いの白毛は、漁師の少年フォルコにだけ次第に心を開いていくが、牧夫たちは執拗に白毛を追い……。

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 日本公開平成19年(2008年)7月26日、公式な日本劇場公開は『赤い風船』'56のリヴァイヴァル上映の併映作かつ『赤い風船』との2枚組で日本初DVD・Blu-ray化されるのを機に先行劇場公開された同年になりますが、本作は手頃な中編でもあればカンヌ国際映画祭グランプリ(短編賞)受賞作でもあり、VHSソフト時代のリリースや民生用プリントによる上映会、テレビ放映の機会もあって、よく知られた作品でした。ラモリスはセミ・ドキュメンタリー的な手法で野生動物や航空撮影の映画を撮った監督で、40代で航空撮影中の事故で亡くなりましたが、何しろ発想が野生動物や風船、飛行船とわかりやすい「映像詩」の監督だったので作品も常にポピュラーな成功を収めており、例によって批評家時代のトリュフォーはラモリスの『白い馬』や『赤い風船』を酷評しています。まあ『白い馬』はのちの日本の『キタキツネ物語』やフランス映画『仔熊物語』の原点みたいなもので、『白い馬』の場合は白い野生馬と少年の話ですが、野生馬の群れの中でリーダーに君臨する誇り高い白いたてがみの馬が無垢な漁師の少年にだけは近づかせ、背中に乗せることを許すが、つなぎ留めると逃げて行ってしまう。一方地元のカウボーイ(ボーイといっても当然おっさん)たちは野生馬の群れを訓治しようとして鞭で追い、野生馬の群れの秩序はばらばらになり、たてがみの馬は怒って群れをまた自分に従わせる。カウボーイたちはたてがみの馬に狙いをつけて追い回すが上手くいかず、少年を「お前が捕まえたらくれてやるよ」とからかう。たてがみの馬は追われて少年の元に来て、ついに少年を乗せた馬はカウボーイたちから草原に火を放って追い立てられて海辺に逃れ、そのまま海を渡って向こう岸まで行こうと海に入っていく。潮の流れで流される少年と馬にカウボーイたちは「馬はやるから戻れ!」と呼びかけるが少年も馬もカウボーイの言葉など信じず、ナレーション「そして白いたてがみは少年を人と馬に隔てのない世界に連れて行った」と、はるか彼方の波間に少年を乗せた馬が浮かぶ遠景の映像で終わります。ファミリー映画でも通用するわかりやすい感動の焦点があるのは構わないのでそれをもって通俗的とは言えませんし、40分の中編映画ながらオール・ロケの撮影には野生馬の撮影という困難もあって手間のかかった力作なのもわかります。肝心の野生馬中の野生馬、白いたてがみの馬が実際には映画の設定とは反対によく調教された名馬(そうでなければこの物語の撮影が成り立たない)なのは皮肉ですが、トリュフォーが気にくわなかったのはこの映画がナレーション過剰で、映像を解説して物語っているナレーションが全編に流れていて、極端に言えばナレーションだけ聴いていれば映像不要な映画になってしまっている。スチール写真構成でも大差ないような、映画である必要がない仕上がりになっていることにあるでしょう。この物語には台詞自体は最小限しかありませんから、台詞は音声を使うとしても場面ごとの状況説明はいっそサイレント映画のように簡潔な字幕で示すか、サイレント映画の字幕程度の簡潔なナレーションに抑えて映像に語らしめるべきだったものを、本作は画面上のアクションまでぜんぶナレーションで語ってしまいます。早い話がテレビのドキュメンタリー番組のようにながら観で観ていられる安易なナレーションの用法が決定的に本作を安っぽい作品にしてしまっているので、撮影監督と脚本はラモリスにしてもプロデューサーが実権を握ってちゃんと映像と音声の効果をわきまえた監督に完成させれば相応の佳作になったと思われる。ど素人が観てもそのくらいわかるのですが、公開当時は本作は題材と撮影だけで大評判をとったということでしょう。本作もキネマ旬報新作公開映画紹介のデータを引いておきます。
[ 解説 ] 南フランスの荒地を舞台に美しい白馬と、彼に心を通わせ、次第に深い絆で結ばれていく少年との物語。監督・脚本は「素晴らしい風船旅行」のアルベール・ラモリス。出演は「ブラコ」のアラン・エムリー、「赤い風船」のパスカル・ラモリスほか。1953年カンヌ国際映画祭グランプリ(短編)受賞作。
[ あらすじ ] 南仏カマルダの荒地に野生馬の一群が生息していた。群れのリーダーは"白いたてがみ"と呼ばれる美しい馬だった。地元の牧童たちは、なんとかしてこの馬を捕らえようとしていたがいつも逃げられてばかりいた。ある日、近くに住む漁師の少年フォルコ(アラン・エムリー)は、白い馬が牧童たちに捕まっているのを目撃する。白い馬は檻を破って逃げ出すが、フォルコは馬を見つけて忍び寄った。白い馬はフォルコからも逃げようと、手綱を掴んだままのフォルコを引きずりながら駆け出す。しかし、いつまでたってもフォルコは手綱を放さなかった。やがて、ようやく白い馬は立ち止まる。フォルコは白い馬を家に連れて帰るが、牧童たちがつながれている馬を見つけ、再び馬は逃げ出してしまう。群れの元へ戻った白い馬だったが、すでに新しいリーダーが群れを支配しており、二頭の激しい争いが始まる。結局、怪我を負って群れから追い出されてしまった白い馬を、フォルコが再びかくまおうとする。しつこく追ってくる牧童たち。どこまでも逃げるフォルコと白い馬は、とうとう陸の果てまで来てしまうが、立ち止まりもせずにそのまま海の中へと飛び込んでいく。牧童たちが必死に呼び戻そうとする中、フォルコと白い馬は波の彼方へと消えていくのだった……。
 ――そんな具合で、撮影の労力も工夫も並大抵ではなかっただろう本作は波の彼方へ消えていき、決して褒められた出来ではないのですが観て損はないので(短いですし)、監督も故人ならナレーションをカットした再編集版もその後作られなかったのですが、サイレント映画ではなくてサウンド映画である効果は自然音の扱いに出ているので(それも音楽が邪魔していますが)、これはこれで映画史上の珠玉作と見なされて歴史に名を残している作品です。カット割りや構図の平坦なのは被写体の都合上仕方ないという感じもし、草原に火が放たれる場面でも緊迫感が稀薄なのは起こっている事態は大変でも画面は地味なので(「燎原の火」のように派手に燃えたりはしないので)ナレーションが緊急事態を声高に強調しても何だか作り事っぽい感じしかしないのです。ラストシーンの海だけはさすがに迫力があり、水平線まで何もない広大な荒海の映像というのは人類の遺伝子レベルの感受性に訴えかけてくるものがあって、臭いナレーションが最後のひと言だけ光る部分でもあります。本当にナレーションはこの締めくくりの一文だけだったらどんなに良かったかと思えるので、そういう意味でも本作は映画の見方を教えてくれる作品ではあります。馬と少年と海という道具立てはかなり必殺の取り合わせですし、この映画の取り柄もそれだけですが映画監督の力量がいかんせんアイディア止まりでそれ以上の映画にはならなかった残念賞映画でしょう。まさかカンヌ映画祭が残念賞の意味をこめて表彰したとは思えませんが、残念賞映画の系譜というのがあるとすれば本作はその好例に上がる1作とも言えそうです。