人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

現代詩の起源(20); 小野十三郎の詩(2) / 詩集『いま いるところ』より「フォークにスパゲッティをからませるとき」

[ 小野十三郎(1903-1996)近影、創元社『全詩集大成・現代日本詩人全集10』昭和29年('54年)12月刊より ]

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詩集『いま いるところ』
浮遊社・昭和64年(1989年)7月7日刊
小野十三郎著作集』筑摩書房
平成2年(1990年)9月・12月・平成3年2月刊
第二巻所収

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 フォークにスパゲッティをからませるとき                小野十三郎

時間がたつのがおそい。
言葉が先に進む。
そこで時間が来るのを待つ。
また、詩を書いている。
やってきた友は
病気は治らないなと云う。
治そうとは、おれは思わない。
病気だから書ける。
健全な詩を書いている人はたくさんいる。
その仲間入りをしようとは思わない。
第一、健全な詩はない。
みな、病気である。
持っているものは、なにだろう。
たぶん、それはあなたにも関係がある。
うまい朝食を食っておれはいま帰ってきた。
今日はスパゲッティだった。
あなたもどこかで
いま、うまい朝食を食っているだろう。
フォークにスパゲッティをからませる感覚が
おれは好きだ。


 第21詩集『いま いるところ』。前詩集『カヌーの速度で』'88(昭和63年7月刊)と本詩集の間('88年12月)に小野十三郎昭和6年に結婚した夫人を亡くし、夫妻には6人の子息子女がおりましたがすでに成人して家庭を築いていたので、夫人の逝去後は小野十三郎は一人暮らしを始めることになりました。夫人は亡くなる4年前から言語と歩行に支障を来し、晩年1年は夫の十三郎が介護をやむなくされたので、『いま いるところ』は夫人の死を中心にした小野自身の生活の変化とともに、小野と同世代の友人の逝去を追悼する詩も含まれますが、86歳の詩人の詩集ですからこの前後、草野心平秋山清、藤沢恒夫ら50年以上の交友になる同年輩の詩友を亡くしています。
 数年来の禁煙を止め夜間外出を始めたのも夫人逝去後で、この間の創作への切迫力の高まりは前詩集から1年の間に60編もの新作からなる詩集を上梓したことにも表れており、小野十三郎の単行詩集は'26年の第1詩集から'92年の生前最後の第22詩集まで68年に及びますから、1年間の詩作から成る詩集は『いま いるところ』が唯一です。夫人逝去後、詩人は朝食は喫茶店でとるのを楽しんでいた様子が詩集中数編の詩からわかり、「フォークにスパゲッティをからませるとき」は86歳の詩人とは思えないくらいみずみずしい詩でもあれば、二十歳の時から67年あまり詩を書いてきた老詩人だからこそ重みのある詩でもあります。やはり喫茶店の朝食に材をとった次の詩も鮮やかな一編です。


  レモンのすっぱさ      小野十三郎

夜が明けて
七時半過ぎに
近くの喫茶店に行く道。
おれは、その時
雑念から解放された気分になる。
言葉はいつも、おれについて廻っているが
いままでになかった
言葉と言葉の関係を
ふいに見つけられそうな気がする。
茶店では
おれはいつも最後に
トマトジュースを飲むが
レモンのすっぱさから
おれの一日がはじまるのである。
道はかぎりなく遠い。
そこを歩いているのはおれひとりだ。
世界の果てである。
果てには道がないが
おれの歩いている時間には
それがある。