[ 小野十三郎(1903-1996)、大正15年=1926年、第1詩集『半分開いた窓』刊行の頃、23歳。]
第1詩集『半分開いた窓』(私家版)
大正15年(1926年)11月3日・太平洋詩人協会刊
「野鴨」
僕はあの蘆間から
水上の野鴨を覗ふ眼が好きだ
きやつの眼が大好きだ
片方の眼をほとんどとぢて
右の腕をウンとつつぱつて
引金にからみついた白い指丈をかすかにふるわして
それから蘆の葉にそつと触れる
斜につき出た細い銃身
あいつの黒い眼も好きだ。
僕はあの赤い野鴨も好きだ
やつの眼ときてはすてきだもの
そして僕は空の眼が好きだ
あの冷たい凝視が
野鴨を悲しむのか
僕は僕の眼を憎む
この涙ぐんだ僕の眼だけを憎む
覗ふ眼 銃口の眼 鴨の眼 空の眼が
静かに集ひ
鴨を射つ
「断崖」
断崖のない風景ほど怠屈なものはない
僕は生活に断崖を要求する
僕の眼は樹木や丘や水には飽きつぽい
だが断崖には疲れない
断崖はあの 空 空からすべりおちたのだ
断崖!
かつて彼等はその風貌を見て昏倒した
僕は 今
断崖の無い風景に窒息する
(詩集『半分開いた窓』大正15年=1926年11月私家版より2篇)
*
小野十三郎(1903-1996)の第1詩集『半分開いた窓』(大正15年=1926年11月・私家版)は163ページに64篇を収め、非売品として領布された自費出版詩集で、20歳で詩作を始めた大正12年(1923年)以来23歳までの作品集です。詩集は第一部に比較的短い詩編が43篇、第二部に比較的長い詩編が21篇収められており、大正15年と言えば前年に八木重吉(1898-1927)が第1詩集『秋の瞳』を公刊し、また三好達治(1900-1964)がのち第1詩集『測量船』(昭和5年=1930年)に収められる詩篇によって商業詩誌にデビューした年でした。この第1詩集を小野十三郎自身は後年「抹殺したい」と公言するほど嫌っており、しかし数次に渡って再刊された全詩集、著作集にはきちんと収録しているのも律儀な性格を示すもので、公刊した第1詩集であるからにはどんな評価も引き受ける覚悟あってのことでしょう。小野十三郎はアンソロジーなどの自選小詩集には第3詩集(第2詩集は市販版『半分開いた窓(訂正再版)』'28=昭和3年)『古き世界の上に』'34(昭和9年)収録の詩篇から選んでいることが多く、大阪生まれ・育ちの小野が東京で遊学中に刊行した第1詩集が『半分開いた窓』なら、大阪に帰郷してからの詩集が『古き世界の上に』なので、小詩集程度の自選詩集を編む際には『古き世界の上に』からが自信作ということになるようです。
第1詩集『半分開いた窓』が良い資質を感じさせながらもまだ未熟な詩集であるのは、前回詩集第一部から巻頭の20篇を引いて、発想の幅が狭く同一テーマのヴァリエーションが多いこと、用語や文体の平易さは好ましいながら表現の拙さが目立つこと、総じて習作段階の詩作に見え作風の確立はまだ先に見えることなどを指摘しましたが、この第1詩集の完成度など問題にしない創作態度は完全に明治新体詩以来の日本の抒情詩の伝統から切れていて、そこに八木重吉や三好達治のスタイル確立の早さよりも新しい詩の可能性を期待させる良さがありました。野鴨を「赤い」と書く原色の感覚も日本の伝統的な色彩感覚にはなかったものです。
小野十三郎が戦後に主宰した「大阪文学学校」門下生たちが中心となって小野の全業績を検討した山田兼士・細見和之編の論集『小野十三郎を読む』(平成10年=2008年)で、第1詩集『半分開いた窓』から代表作として上げられているのは詩集第一部の半ば、25篇目の詩篇「野鴨」と、第一部最後の43篇目の詩篇「断崖」です。先に第一部を比較的短い詩、第二部を比較的長い詩とご紹介しましたが、平均的な長さからはそうなるものの第一部にも第2部の短い詩より長い詩があり、第二部も必ずしも長い詩ばかりではないので内容的に抒情詩(心境詩、生活詩)を第一部、思想詩(傾向詩、信条詩)的なものを第二部に分けたとする法が妥当かもしれません。反権力、反アカデミズム、反イデオロギズム的なアナーキスト詩人の立場を鮮明にした作品は第2部の詩集巻末になるほど増えていきます。しかし第二部の内容はより生活的な具体性を帯びて『古き世界の上に』で充実した詩篇になったとも言えるので、詩人本人が代表的作品を選出する時に『古き世界の上に』からの詩篇を出発点とするのもわかる気がします。
詩篇「野鴨」でキーワードになっているのは「(野鴨を覗ふ)きやつの眼」「(野鴨を覗ふ銃口の)黒い眼」「やつ(赤い野鴨)の眼」「(野鴨を悲しむ)空の眼」の「眼」の反復よりも「~が好きだ」という語法でしょう。この詩は晩年近い詩集『いま いるところ』(昭和64年=1988年)の「フォークにスパゲッティをからませるとき」の結句、
フォークにスパゲッティをからませる感覚が
おれは好きだ。
(末尾2行)
――につながっていく語法ですし、また後期の代表詩集『拒絶の木』'74(昭和49年)巻頭の名篇「蓮のうてな」の、
銃器と油と
皮革のにおいのするところにいる。
生きていたとき
ただ一口も言葉を交したことがない者たちの
汗のにおい、吐く息のにおいの中にいる。
泥靴の足を投げ出して
くずれた民家の土壁にもたれている。
地響を立てて前を戦車が通過している。
アザミに似た花が陽に映えている。
(冒頭9行)
――の「いる。」の反復語法の小野十三郎自身による早い用例です。「野鴨」の視点の末尾の逆転と集中、
僕は僕の眼を憎む
この涙ぐんだ僕の眼だけを憎む
覗ふ眼 銃口の眼 鴨の眼 空の眼が
静かに集ひ
鴨を射つ
(末尾5行)
――をそのままテーマにしたものが「断崖」と言えるでしょう。ここで「断崖」に託されているのは「覗ふ眼 銃口の眼 鴨の眼 空の眼が/静かに集ひ/鴨を射つ」という断絶の形象化であり、この23歳の詩人の第1詩集が未熟ながらもテーマの把握や方法意識には明確な自覚があったのを確かめられます。「野鴨」「断崖」はまだ佳作とも呼べない習作ですがこの先には確かな詩的把握力が芽生えてくると思わせる有望さを感じさせ、それはおそらく執筆年代順に巻頭に配置されたと思われる、前回引用した詩集のごく巻頭の詩篇と、「野鴨」「断崖」の凝縮度の開きから見ても、執筆時20歳~23歳の第1詩集の中ですでに急速に進展したと思われるのです。
「林」
小野十三郎
秋になつて
郊外の林の中へ入つて行つた
林の中でみたものが魚の骨
林の中から丘の方をみると
あゝあゝたくさんの子供が赤青黒白で
赤青黒白が黄色い顔をちらちらさしてゐた