ゾンビ映画は古典時代('30年代~'40年代)にもインディペンデント映画、メジャー映画、マイナー社映画と出自もばらばら、内容も多彩で予期できないものですが、今回はメジャー映画社からのゾンビ映画2作、マイケル・カーティス(!)監督のボリス・カーロフ主演のワーナー作品と、ジョージ・マーシャル(!)監督のボブ・ホープ&ポーレット・ゴダード主演のパラマウント作品です。名画座やシネクラブはおろか、もし近代美術館フィルムセンターで「アメリカ古典恐怖映画の展望」と組み合わせ上映しても全然お客さんが来なさそうなこの2作、あまり人が観ていない映画をひっそり観る楽しみという点だけは監督の格からしても格別のものがあり、主演キャストは一流だけにどんな映画か中身を観ないと予想もつかないのもゾンビ映画という趣向も相まって倍増で、まとまった感想文になるか心許ありませんが、なるべく詳細にご紹介してみたいと思います。――なお今回も作品解説文はボックスセットのケース裏面の簡略な作品紹介を引き、映画原題と製作会社、アメリカ本国公開年月日を添えました。
●10月24日(水)
『歩く死骸』The Walking Death (Warner Bros./First National'36)*65min, B/W; アメリカ公開'36年2月22日
監督 : マイケル・カーティス
主演 : ボリス・カーロフ、リカルド・コルテス、エドマンド・グウェン、マルグリート・チャーチル、バートン・マクレイン
・仲間を有罪にしたショー判事を殺し、その罪を出所して間もないエルマンになすり付けた悪徳弁護士ノーランの一味。ボーマン博士の助手たちが殺人現場を目撃していたが、エルマンには死刑が宣告されてしまう……。
本作はメジャーのワーナーによるマイケル・カーティス(1886-1962)監督作品で、本国公開と同年に日本公開されているそうです(月日不詳)。カーティスと言えば多作家の職人監督の代名詞みたいな人で、『カサブランカ』'42はたまたまカーティスの代表作の1作になったのでジャンルを問わず何でもばりばり撮った監督ですし、ドイツ時代の作品も含めマイケル・カーティス作品を全部観た、というような特殊なマニアはほとんどいない点でも全貌の知れない映画監督のひとりですが、逆に言えば個性に乏しいマイケル・カーティスだからこそものすごい数の監督作品があり、『深夜の銃声(ミルドレッド・ピアース)』'45のような戦後若手監督顔負けのフィルム・ノワールの大傑作も撮っているので、まさか古典ゾンビ映画のセットでもマイケル・カーティス作品にぶつかるとはハリウッド・メジャーもあなどれないものです。本作の日本初公開時のキネマ旬報の近着外国映画紹介は配給のワーナー社の英文プレス翻訳らしく、実際の映画とは相違もありますし、叙述順序の転倒もあるシノプシスですが、歴史的価値の高さからご紹介しておきましょう。
[ 解説 ]「透明光線」「黒猫」のボリス・カーロフが主演する映画で、エワート・アダムソンとジョセフ・フィールズが共同して書き下ろし、脚色には原作者アダムソン、ピーター・ミルン、ロバート・ハーディ・アンドリュース、リリー・ヘイワードの四人が協力し、「海賊ブラッド」「真夏の夜の夢」のハル・モーアが撮影。助演者は「特高警察」「シスコ・キッド(1935)」のリカルド・コルテス、「女難アパート」のマーゲリット・チャーチル、「脱線僧正」のエドモンド・グウェン、「黒地獄」「Gメン」のバートン・マクレーン、新顔ウォーレン・ハル、ヘンリー・オニール、ジョセフ・キング、エディ・エイカフ等である。
[ あらすじ ] 弁護士のノーラン(リカルド・コルテス)と政治ゴロのロダー(バートン・マクレーン)を首領とする悪漢の一団は、彼らの一味に有罪宣告を下したショウ判事(ジョセフ・キング)の命を付け狙っていた。その頃、以前判事のために十年の刑を宣告され、服役を終わったジョン・エルマン(ボリス・カーロフ)が出獄したので、彼らは判事を殺してその罪をエルマンに塗り付ける。そしてノーランはエルマンの弁護士として選ばれた、弁護するとみせかけて無実の証拠を握りつぶし、ついにエルマンは死刑を宣告。ところが、有名な科学者ボーモン博士(エドモンド・グウェン)の助手のジミー(ウォーレン・ハル)とナンシー(マーゲリット・チャーチル)が、殺人の現場を目撃していた。悪漢どもはそれを知って、二人に口を開けば命はないと脅迫したが、良心の呵責に耐えられなくなって二人は博士に打ち明ける。博士は早速弁護士ノーランに通告したが、ノーランは手続きを遅らせ、エルマンの死刑が執行されてしまう。ボーモン博士は生命復活の研究者だったので、地方検事ワーナー(ヘンリー・オニール)から、エルマンの死骸を実験に供する許可を得た。博士の実験は見事に成功し、エルマンは蘇生した。世の賞賛は博士の一身に集まったが、しかし一方ではノーランとロダーの一味が、彼の再生を非常に恐れていたのは言うまでもない。博士はさらに研究を続け、エルマンから死後の生活の秘密を探ろうとする。そうしているうちにエルマンは自分を陥れた一味のことを知り、その中のブラックストーン(ポール・ハーヴェイ)やメリット(ロバート・ストレンジ)やトリッガー(ジョセフ・ソーヤー)を次々に殺していった。ノーランとロダーは秘密の暴露とエルマンの復讐を恐れ、種々計をめぐらすが何一つとして成功しないので、エルマンが夜間墓地をさまよっているのを襲い、頭部をピストルで射抜いて再び殺害。しかし二人は逃亡の途中、運転を誤って高圧線に触れ、かつて彼らがエルマンを電気椅子で殺したのと同様に感電死したのであった。
――映画の実際は上記あらすじといくつか違い、実際の映画では市の財務係マーティン(ケネス・ハーラン)が35万ドルの横領の冤罪で有罪判決を受け、上手くやったなとローダー弁護士(バートン・マクレイン)がギャングの親分ノーラン(リカルド・コルテス)とアジトで祝杯をあげる場面から始まります。弁護士とギャングの親分役がキネマ旬報の紹介とは配役が逆です。目の上のたんこぶのショー判事の暗殺にボリス・カーロフ(1887-1969)演じるエルマンを冤罪犯にするためショー判事の身辺調査にノーランの部下が雇うのは、エルマン(ボリス・カーロフ)は衝動的に犯してしまった妻殺しの前科を持つ音楽家、という設定で、10年の刑期を終えて出所してきてローダー弁護士に仕事の斡旋を頼みに来たからで、エルマンの時の裁判もショー判事だったから怨恨の疑いがかけやすい、とローダー弁護士がノーランに持ちかけたからですし、ジミーとナンシーは脅迫を受けて証言に出てこないのではなく事件に巻き込まれるのを恐れて証言せず、有罪の死刑判決後にカップルがボーモン博士を通して証言に現れるもローダー弁護士が故意に知事への連絡を遅らせ、エルマンは最後にチェロ演奏を許されたあと電気椅子に送られて処刑されるという具合で、微妙に違いがあります。映画会社が脚本から起こしたプレス用シノプシスと実際の映画が違うのは戦前のキネマ旬報近着外国映画紹介ではけっこう多く見かけます。本作は死者蘇生ものですが電気椅子処刑すぐの科学的蘇生で、カーロフは記憶喪失に陥っているものの普通に日常生活はでき、ピアノやチェロ演奏は自然に体が覚えているので本作では国際的評判をとる科学的蘇生とはされてもゾンビではありません。またエルマンの無実からノーランの罪状は暴かれるも、判事殺害事件は法的決着がついているので有罪は問われないのは刑法上の抜け穴なので、ノーランは知事から冤罪死刑を受けたエルマンへの賠償年金を引き出させ、地方検事ウェルナーを後見人にしてボーモン博士のもとで暮らすエルマンに援助させる、という具合に巧みにウェルナー地方検事やボーモン博士を懐柔します。しかし徐々にエルマンは記憶を回復していくので、見舞いに来るノーランとローダー弁護士の計略を見抜き、逮捕されたノーランの代理人の子分トリガーから真相を訊き出そうと迫って銃を向けられてトリガーを射殺し、別の子分ブラックストーンを追ってブラックストーンは汽車に轢かれ、さらに子分メリットの部屋に押しかけるとメリットは逃げようとして窓から落下して死ぬ、といずれも正当防衛か事故として描かれています。部下たち3人の死に危険を感じたノーランとローダー弁護士はウェルナー地方検事とボーモン博士にエルマンの拘禁を求めますが拒否され、散歩中のエルマンを狙撃しますが仕留め損ねて逃走します。エルマンはボーモン博士の書斎で瀕死のところをナンシーに発見され、駆けつけてきたボーモン博士や後見人のウェルナー地方検事、ジミーに蘇生しなくていい、と聖書の申命記の一節「あなたのうちにおられるあなたの神、主はねたむ神であるから、おそらく、あなたに向かって怒りを発し、地のおもてからあなたを滅ぼし去られるでしょう。(6章15節)」を口承します。一方逃走するノーランたちの車は運転を誤り高圧線に激突して大破炎上します。エルマンは処刑された時まですべての記憶が蘇りました、と言い、処刑された時の気持、それは深い安らぎでした、と言い残して息絶えます。
……と、ゾンビという言葉も使われなければ、一旦冤罪死刑されたのに記憶を失って蘇生させられた本作は、主演がボリス・カーロフなのと科学的手段なので『フランケンシュタイン』'31のヴァリエーション作品なのですが、本作のボリス・カーロフは人造人間ではありませんし、前世の人格の通りに人生に絶望した孤独な人間です。カーロフが仇敵の手下たちを殺めていくのも真相追求の過程で起きた正当防衛や事故ですし、カーロフは非常にデリケートな名演でピアノやチェロを弾くのも浮いていません。本作自体は小品でとやかく言うような出来でもありませんし、佳作と言うのもはばかられるようなささやかな映画ですが、カーロフの存在感と名演だけは心に残る映画で、カーロフ最高の名演は作品の出来も含めれば『フランケンシュタイン』と『ミイラ再生』'32とジョン・フォードの戦争映画の小品傑作『肉弾鬼中隊』'34でしょうが、映画が小粒すぎるのでお勧めできる作品とまではいきませんが、本作もボリス・カーロフの魅力を生かした映画としてはなかなかです。イギリス映画『月光石』'33がせっかくのカーロフ主演だったのにごたごたした宝石争奪戦プロットでまるでカーロフを生かしていなかったのに較べると、企画、脚本、監督手腕とも本作は段違いに良い作品です。ただしゾンビ映画ではない、と思って観た方がいい内容なので、地味な小品にとどまるのは大目に見てあげましょう。
●10月25日(木)
『ゴースト・ブレーカーズ』The Ghost Breakers (Paramount Pictures'40)*85min, B/W; アメリカ公開'40年6月7日
監督 : ジョージ・マーシャル
主演 : ボブ・ホープ、ポーレット・ゴダード、ポール・リュカス、リチャード・カールソン 、ウィリー・ベスト、ポール・フィックス
・キューバ沖の島にある城を相続したマリー。思いがけなく彼女はラジオのアナウンサー、ラリーと島に渡ることになったが、島ではマリーの先祖の幽霊が現れたり、城には財宝が眠っていることを知ったり……。
マイケル・カーティスのワーナー作品に続いてジョージ・マーシャル(1891-1975)のパラマウント作品、とはなんとまあお客さんの呼べなさそうな組み合わせでしょう。ジョージ・マーシャルも映画史上ではジェームズ・スチュワートとマレーネ・ディートリッヒ主演の異色西部劇の傑作『砂塵』'39だけが際立っていて、しかし案外ジョージ・マーシャルの西部劇は『殴り込み一家』'40や『掠脱の町』'41など面白いのですが、マイケル・カーティスに負けず劣らずマーシャルも会社企画はジャンルを問わず何でも撮った多作家で、しかしパラマウントの明るい路線からカーティスよりは作風は無闇に広くなく、マーシャル映画のファン層というのは(というよりパラマウント映画のファンでしょうが)ありそうです。主演にボブ・ホープ(1903-2003)、『モダン・タイムス』'36と『チャップリンの独裁者』'40でヒロインを勤めたポーレット・ゴダード(1910-1990)が2度目のトーキー・リメイクになるパラマウントのエリオット・ニュージェント監督作『猫とカナリア』'39(オリジナルはパウル・レニ監督の'27年版)に続いて共演したコメディ・ホラーの本作は、日本で輸入映画統制が始まった後の戦時中の作品ですし、敗戦後も日本公開されなかったので幻の映画になっていましたが、2016年に日本盤DVDが初リリースされたのでキネマ旬報の映画データベースには掲載されており、簡略な紹介文ですが、その時のプレス・リリース紹介ともども転載しておきましょう。
[ 解説 ]『100万ドル大放送』でブレイクしたボブ・ホープが『モダン・タイムス』のポーレット・ゴダードと共演したゾンビコメディ。小さな島にある幽霊城と噂される屋敷を相続したメアリーは、ラジオアナウンサー・ラリーらと共にその城を訪れるが…。【スタッフ&キャスト】監督 : ジョージ・マーシャル/出演 : ボブ・ホープ、ポーレット・ゴダード、リチャード・カールソン
[ 内容(「Oricon」データベースより) ] キューバ沖の小さな島にある先祖伝来の屋敷を相続したメアリー・カーターは、ひょんなことからラジオのアナウンサーのラリー・ローレンスと、彼の運転手アレックスの三人で島に渡る。しかし、島に到着した彼らの前にメアリーの先祖の幽霊が現れ、さらにはゾンビの襲撃にまで遭い…。ボブ・ホープとポーレット・ゴダードの共演で贈るゾンビ・コメディ。2016/9/2DVD発売。
――この紹介ではあっさりしすぎていますのであらすじを追うと、落雷の鳴り響く高層ホテルの一室で富豪令嬢メアリー・カーター(ポーレット・ゴダード)と友人ハヴェス氏(ペドロ・ド・コルドバ)がマンハッタンのラジオ局の人気犯罪ニュースキャスターのラリー・ローレンス(ボブ・ホープ)の放送を聞いています。メアリーはキューバの小さな島ブラック島の農園の相続人ですが、ハヴェス氏はメアリーが忌まわしい伝説のあるブラック島に行くのを反対しています。ドアにノックがあり、控えめで不気味なキューバの弁護士パラダ弁護士(ポール・リュカス)が訪ねてきます。パラダ弁護士はブラック島の農園と邸宅 マルディト城を賞賛し、 ハヴェス氏の反対にもかかわらず、メアリーはキューバに行き、新しい財産を調べることに決めます。パラダ弁護士の訪問中に、メアリーにラモン・マデロス(アンソニー・クイン)からメアリーが相続した財産をパラダに売却しないよう警告する電話を受け取ります。メアリーは後でマデロスに会うことに同意します。一方ラリーは夕方の放送後、ギャングのボス、フレンチー・デュバル(ポール・フィックス)からの電話を受けます。フレンチーはラリーをホテルに招待して放送について話をつけたい、と脅します。偶然にも、フレンチーはメアリーと同じホテルに住んでいます。マデロスはラリーと同時にホテルに到着します。自分マデロスはメアリーではなくパラダを探しています。パラダはマデロスと撃ち合い、マデロスを殺します。ラリーは銃声を聞いて反射的に銃を撃ちます。まだ暗いホテルの混乱の中で、ラリーは気絶した女性を見て、ラリーはデュバルの情婦の一人を殺したと信じてしまいます。混乱に乗じて、ラリーは旅行支度をしているメアリーの部屋に逃げ込みます。デュバルの追っ手に追われていると信じて、ラリーはメアリーの大きなトランクに隠れます。それを知らずにメアリーはトランクを輸送手配します。港で、湾岸調査をしていたラリーの犯罪捜査担当部下の黒人青年アレックス(ウィリー・ベスト)は荷物を調べてラリーを見つけます。アレックスは船に乗る前にラリーを救出しようとしますが、トランクは船に運ばれてしまいます。部屋でトランクを開けたメアリーははラリーの侵入に驚きますが、ラリーとアレックスはメアリーにボディーガードとして雇われ、フレンチーと警察に捕まらないところに留まることを決めます。ラリーとメアリーはメアリーの知人の若手教授、ジェフ・モンゴメリー(リチャード・カールソン)を訪ね、ブラック島の迷信、特にドン・サンティアゴのブードゥー、幽霊、ゾンビの話を聞きます。ハバナの港に着くと、ラリーはホテルの事件は自分とは無関係だったのを新聞記事で知り、一行はブラック島に行きます。途中で彼らは老婆(ヴァージニア・ブリザック)とその息子(ノーブル・ジョンソン)がいる小屋を見つけます。老婆と息子が管理人をしている農園の邸宅は不気味な建物で、一行は長く放棄された、巨大な大邸宅を探索し、メアリーの先祖のメアリーそっくりの容姿の女性マリア・イザベル・セバスチャンの大きな肖像画を発見します。まもなく一行はドン・サンティアゴの幽霊の出現とゾンビの出現に怯えます。本当の怪奇現象か、何者かがメアリーを相続財産から脅かすための手段かラリーは疑います。メアリーはゾンビに追いつめられて部屋に逃げこみますが、小窓からパラダが覗きこむとパラダは謎の腕に口を封じられて連れ去られます。ラリーは甲冑の亡霊は管理人の息子なのを暴き、メアリーと落ち合ってメアリーの先祖の墓所の秘密を探りに行きます。メアリーがオルガンを弾くと棺の中に瀕死で横たわっていたパラダが目を覚まし、メアリーを守りたかった、城の下に財宝がある、オルガン、行進する男、と言い残して息絶えます。「行進する男」を曲名と気づいたメアリーがオルガンを弾くと地下室への扉が開き、踏みこんだ二人にラモン・マデロスの兄フランチェスコが銃を向けますが、さらにジェフ・モンゴメリーが現れ3人に「財宝は渡さない」と殺そうとするも、ジェフは落とし穴と崩れてきた天井に落下し、天井からアレックスが「違うボタンを押したかな?」と顔を覗かせます。船上で風に吹かれるラリーとメアリーの笑顔で映画は終わります。
……と、本作はタイトルからも後世『ゴーストバスターズ』'84シリーズの元ネタになり、公開当時の批評も好評で同じ主演コンビの『猫とカナリア』に続いて興行的成功を収めたそうですが、ボブ・ホープの国民的人気とチャップリン映画の話題性のあるヒロイン、ポーレット・ゴダードの人気に乗った好評と商業的成功で、映画そのものは腕前の悪い新人監督が撮ったような、撮影もずさんなら演出にも冴えのない、85分の長さがだらだらとしたシークエンスばかりで、コメディとしてもおかしくなければホラーとしても緊迫感のない、良いところを見つけるのに苦労して報われることのまるでない、まったく取り柄のない映画です。ジョージ・マーシャルは西部劇以外はまるで駄目なのか、西部劇だからマーシャルが監督でも面白い映画が作れたのか疑問になってきますが、これほど壊滅的につまらないコメディ・ホラーというのはわざと作ろうとしてもそうそう出来てくるものではないので、本作は一応ゾンビは出てきますが古城の亡霊とセットで出てくるので別にゾンビでなくてもいい存在です。亡霊とゾンビの黒幕が誰か、というのも映画のプロットは実にいい加減で、伏線もへったくれもありません。ここまでいい加減な作りの映画は数ある粗製濫造ハリウッド映画でも稀少、という意味では珍品としての味があり、映画粗探し的な興味ではこのどうしようもない映画『ゴースト・ブレーカーズ』もそれなりの存在価値がある、と名作『砂塵』で監督ジョージ・マーシャルを知る人は本作とのギャップを楽しむ手もあります。また英語版ウィキペディアの指摘ではドン・サンティアゴの幽霊が初登場する場面では棺に幽霊が消えてボブ・ホープが棺の中に骸骨を確認する描写があるのに、映画後半でボブ・ホープが黒人青年の部下と城の探索をするシーンでは別の場所のガラスケースの中の骸骨を「ドン・サンティアゴの骸骨だ」と認める描写があり、つまりドン・サンティアゴの骸骨は2体あることになるので、ちゃんと脚本チェックもスクリプターによるカット・チェックもあったでしょうにこういうミスが堂々とあり、それを問題にする以前に映画そのものがユルユルです。故・水野晴郎氏の名言(「いやぁ、映画って本当にいいもんですね~」)を思い出さずにはいられません。