人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

今年のクリスマスチキン(クリスマス当日編)

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 骨つきチキンなど普段は食べづらいし調理も面倒なのでめったに食べはしませんが、クリスチャンにとってはクリスマスに骨つきチキンを食べるのは宗教行事みたいなもので、早い話が恵方巻みたいなものです。前身だったユダヤ教の時代からこれは4,000年の歴史があるはずで、ユダヤ教キリスト教自体がもっと歴史の古いインド系の宗教(例えば洗礼式などは、ガンジス川文化のインドに由来するもの)から教えを借りたものですが、自然の豊かなインドや中国(中国といっても自然豊かなのは植民地帯だけではありますが)と違って、ユダヤ教は国土も持たず土地は荒野、という貧乏文化でした。食べものを粗末にしない、仲間と物を分かちあう、自傷行為は生命への冒涜という、というのはそうした過酷な極貧環境から芽ばえた戒律で、ついでに言えば同性愛・近親姦タブーも大きいのですが、世界的に宗教で同性愛・近親姦がタブーなのは大多数、もっとも同性愛・近親姦については寛容だったり何らタブーでなかったりする文化圏も多いので、宗教的戒律とは別に考える捉えかたもあるでしょう。

 もともとクリスマス自体がキリスト教とは関係なく、ローマ帝国キリスト教を国教に採用した際にローマの祝祭日だった杉越しの祭の日を聖書のキリストの誕生日とした、というだけで、聖書歴史学的には聖書の気候の記述からキリストの生誕は温暖な5月頃だったのではないか、というのが定説です。しかしユダヤ教キリスト教信仰者の民衆にとっての杉越しの祭りは、今年一年も飢えないで済んで何とかなったのを感謝して、来たる一年も食べ物に事欠くことがありませんようにと特別にごちそうをいただくことだったので、神さまやイエスさまへの感謝や信仰の誓いに重なるものでした。

 実際、骨つき肉の骨周りの肉は肉でもいちばん肉質が締まり、濃厚でもっとも栄養に富む部分です。ナイフでこそげ落とし、ほとんど肉が削げたら端をつまんで関節周りのさらに濃厚な肉をかじり、よく火が通っていれば軟骨も食べられるくらいになっていますから無駄なく食べつくす。普段の食事の倍くらい料理の手間も食べる手間もかかりますが、食事と健康のために祈願する諺かつぎみたいなものです。独身時代は全然、子育て中には年中行事として教えるためにやっていたことですが、再び一人暮らしのじじいになればなるほど、こうしたことに日々の暮らしの小さな意味を痛感するようになってきたような気がします。私もまた、荒野の民のひとりだからかもしれません。