もともとクリスマス自体がキリスト教とは関係なく、ローマ帝国がキリスト教を国教に採用した際にローマの祝祭日だった杉越しの祭の日を聖書のキリストの誕生日とした、というだけで、聖書歴史学的には聖書の気候の記述からキリストの生誕は温暖な5月頃だったのではないか、というのが定説です。しかしユダヤ教~キリスト教信仰者の民衆にとっての杉越しの祭りは、今年一年も飢えないで済んで何とかなったのを感謝して、来たる一年も食べ物に事欠くことがありませんようにと特別にごちそうをいただくことだったので、神さまやイエスさまへの感謝や信仰の誓いに重なるものでした。
実際、骨つき肉の骨周りの肉は肉でもいちばん肉質が締まり、濃厚でもっとも栄養に富む部分です。ナイフでこそげ落とし、ほとんど肉が削げたら端をつまんで関節周りのさらに濃厚な肉をかじり、よく火が通っていれば軟骨も食べられるくらいになっていますから無駄なく食べつくす。普段の食事の倍くらい料理の手間も食べる手間もかかりますが、食事と健康のために祈願する諺かつぎみたいなものです。独身時代は全然、子育て中には年中行事として教えるためにやっていたことですが、再び一人暮らしのじじいになればなるほど、こうしたことに日々の暮らしの小さな意味を痛感するようになってきたような気がします。私もまた、荒野の民のひとりだからかもしれません。