人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

鮎川信夫

1中原中也「冬の長門峡」「渓流」昭和12年(1937年)

中原中也・明治40年(1907年)4月29日生~ 昭和12年(1937年)10月22日没(享年30歳)、逝去1年前 冬の長門峡 長門峡(ちやうもんけふ)に、水は流れてありにけり。 寒い寒い日なりき。 われは料亭にありぬ。 酒酌(く)みてありぬ。 われのほか別に、 客とてもなかり…

鮎川信夫「白痴」「Who I Am」

(鮎川信夫大正9年=1920年生~昭和61年=1986年没>) 白痴 鮎川信夫 ひとびとが足をとめている空地には 瓦礫のうえに材木が組立てられ 鐘の音がこだまし 新しい建物がたちかけています やがてキャバレー何とか 洋品店何とかになるのでしょう 私はぼんやりと空を…

堀川正美「新鮮で苦しみおおい多い日々」(詩集『太平洋』昭和39年=1964年刊より)

『太平洋 詩集 1950-1962』思潮社 ・昭和39年=1964年刊 『堀川正美詩集 1950-1977』れんが書房新社・昭和53年=1978年刊 (堀川正美昭和6年=1931年2月17日生~>) 新鮮で苦しみおおい日々 堀川正美 時代は感受性に運命をもたらす。 むきだしの純粋さがふたつ…

鮎川信夫「繋船ホテルの朝の歌」(『荒地詩集』昭和24年=1949年刊より)

(鮎川信夫大正9年=1920年生~昭和61年=1986年没>) 繋船ホテルの朝の歌 鮎川信夫 ひどく降りはじめた雨のなかを おまえはただ遠くへ行こうとしていた 死のガードをもとめて 悲しみの街から遠ざかろうとしていた おまえの濡れた肩を抱きしめたとき なまぐさい…