那珂太郎詩集『音楽』
昭和40年(1965年)7月・思潮社刊
飯島耕一詩集『他人の空』以降ご紹介している戦後詩の第二世代以降の詩人は主に詩誌「ユリイカ」に拠った詩人で、他にも安東次男、大岡信、川崎洋らがおり、吉岡実、岩田宏らも「ユリイカ」に拠った詩人でしたが、那珂太郎(1922-2014・福岡県生れ)はなかでも最長老のひとりで、晩年には芸術院会員を勤めました。長い詩歴ながら寡作で、福田正次郎名義の処女詩集『ETUDES』(昭和25年=1950年5月・書肆ユリイカ刊)に次ぐ第2詩集が以下に紹介する詩を収録した中期の代表詩集『音楽』(昭和40年=1966年7月・思潮社刊)になります。もっともこの詩人の第3詩集『はかた』(昭和50年=1975年)、第4詩集『空我山房日乗』(昭和60年=1985年)、第5詩集『幽明過客抄』(平成2年=1990年)、第6詩集『鎮魂歌』(平成7年=1995年)はいずれも異なる趣向を持って1冊ずつが個別に統一したコンセプトを持つので、『音楽』からの代表作が那珂太郎の代表作とは必ずしも言えませんが、同詩集は非常に大きな反響を呼んで影響力も大きかったものです。
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「〈毛〉のモチイフによる或る展覧会のためのエスキス」
那珂太郎
a.
からむからだふれあふひふとひふはだにはえる毛
なめる舌すふくちびる噛む歯つまる唾のみこむのど のどにのびる毛
くらいくだびつしり おびただしい毛毛毛毛毛毛毛毛
b.
けだものの毛くだものの毛ももの毛ももの毛
けものの毛
けばだつ毛
けばけばしい毛
けむたい毛
けだるい毛倦怠の毛
けつたいな毛奇つ怪な毛軽快な毛
けいはくな経験の毛敬虔な刑而上の毛警視庁の警守長の
毛けむりの毛むりな毛むだな毛
けちんぼの毛
げびた毛? カビた毛
おこりつぽいをとこの毛?
ほこりつぽいをとこの毛
ほとけの毛?
のほとりの毛
c.
ガ毛ギ毛グ毛ゲ毛ゴ毛
餓鬼 劇 後家 崖 ギヤング 銀紙 ギンガム
の毛
d.
ゆりゆりゆるゆれゆれる藻
ぬらぬりぬるぬれぬれる藻
もえるもだえるとだえるとぎれるちぎれるちぢれるよぢるみだれる
みだらなみづの藻のもだえの毛のそよぎ
e.
目目しい目
耳つ血い耳
鼻鼻しい鼻
性性洞洞
すてきなステツキ
すてきなステツ毛
(詩集『音楽』より)
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戦前ならばこれは「皿皿皿皿皿皿」(高橋新吉)、「丁丁丁丁丁丁」(宮沢賢治)、「りりりりりり」(草野心平)同様ダダイズム~アナーキズムの詩に見なされたでしょう。那珂太郎は萩原朔太郎研究の権威でもあり、「竹」の詩を含む『月に吠える』を萩原の最高傑作としていました。確かにここには『青猫』や「氷島」ではなく『月に吠える』からの発展が認められます。ただし極端に知的なフォルマリズムとして行われているのが戦前のダダ~アナーキズム詩との違いでもあります。