人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

氷見敦子「井上さんといっしょに小石川植物園へ行く」(『氷見敦子詩集』昭和61年=1986年刊より)

(氷見敦子<昭和30年=1955年生~昭和60年=1985年没>)
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『氷見敦子全集』

思潮社・平成3年=1991年10月6日刊
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井上さんといっしょに小石川植物園へ行く

氷見敦子

 五月十八日/晴れ。風が少し強い。
お弁当を持って、井上さんと小石川植物園へ行く。アパートの前から
道が、人家の奥に、吸い込まれるように伸びている。どの道、
というのではなく、ただ漠然と、道を掻き分けて進む。
進むうちに、小石川植物園を囲む塀にぶつかっている。
 樹木の、
肩が揺れるたびに、塀に打ち寄せる、波の音を聞く。
聞いているわたしの脳の奥に、緑の海が、
満ちているのだ。

 *

 午後一時二三分。巨大なヒマラヤ杉の下に立つ。
わたしが、ヒマラヤ杉のうす暗い影のなかへ入っていく。

(どこか、記憶の濡れた井戸のそばに佇んでいる
(佇んでいる人が、ひとり……
(もうひとりは、少し離れたところから消えかかっている

入っていくと、影が冷たい。ひんやりとした影が、
幹を中心に四メートル四方にひろがっている。そのなかを、
井上さんが遠ざかっていく。影の端の方に立って、片腕を上げ、

(どこか、記憶の濡れた井戸のそばに佇んでいる
(吹き込んで来る風が冷たい、風の、
(死体に触れているわたしが、銀河のすぐ近くまで来ている

合図する。合図している腕の先が、影を破って
光の方へ抜けている。笑って、と言われて、
猫のように笑ったのは、いつのことだろう……。記憶の、
うすく焦げた部分に、もうひとりの男が立っている。井上さんが、
コニカFF3」をかまえて、わたしの、最初の一枚の、写真を撮る。

 *

 歩いてゆき、
ソメイヨシノの樹間を通って、木影のベンチに腰を下ろす。
花弁を散らしたあとの、ソメイヨシノ。一ヵ月前ほど前には、
このあたりの空間に、桜の雲が浮いていたのだと思う。

(いつのまにか、銀河の吹き溜りに来ている
透き通った男や女の、声の霊が入って来るので
(わたしのからだは、濡れた壺のようになっています

井上さんが指差す方向へ、視線を送っていく。視線が、
ソメイヨシノの下に群がっている、複数の男女に、届いている。
そこから歓声が出て来る。集団見合いだと、井上さんが言う。

 *

 アパートの前の家にも、大きなヤエザクラが生い茂っていた。
その家の、高い塀を越えて、若葉の群がる枝が、
アパートの方まで茂り出している。

(桜の胎のなかに棲む人がいて、枝の先から
(魂を吹き飛ばしている、ポンポンという音が
(銀河の門をたたく

四月十七日から十八日にかけて、その木から、
桃色に腫れ上がった唇のようなものが、落ちていった。

 *

 その家には、植物の精気が濃密な気流となって流れている。
ほとんど家そのものを覆い尽くすように、うっそうと、
樹木が繁殖しているので、ねっとりとした生気が、
塀の外まで溢れ出ている。
 うす暗い庭をめぐって、陰気な樹の下に入った。
入っていくと、足元から地獄が口を開けている。地獄の、
隠花植物の密集する口を覗く。口のなかで、血まみれの嬰児が、
遊びほうけている、という妄想がその家から、
絶え間なく湧き上がっている。
 死んだ嬰児のそばに踞って、からだを震わせているのは、
夢の湿地に潜むパーキンソン病の男だ。その男の目玉が、
今では、老人性しろそこひで霞んでいる。その男の鼻の粘膜には、
気味の悪い鼻だけが生えている。その男の唇はみつくちである。
 その家に住む人々が、影のようにしか感じられない。
そこでは、植物から分泌されるえたいの知れない力が、人を、
じわじわと追いつめている。追いつめられた人が、生きているときから、
 死人のような顔をして、木の枝という枝に実った、
すずなりの魂を、ぼんやりと眺めている。
 嬰児が、地獄の口から這い出して来る。そこでは、
樹木が人を食べている。そこでは樹木が人の肉をむさぼり、
樹木が、人の精神をくらっている。という事態が、そこでは、
密かに進行しているのだ。

 *

 カズヤ、という小さな男の子の名前を呼びつける男の声が、
ときおり、その家から聞こえてくる。

(カズヤ、カズヤ、カズヤ、カズヤ、カズヤ、カズヤ、カズヤ、
(狂った人の声が湧き出す樹があって、その樹の花粉が
(銀河の果ての方に舞っている

 アパートの階段を上がっていく途中で、わたしは、その家の、
庭を歩きまわっている、全裸の男を目撃する。湯上がりのように、
タオルをひょいと肩に掛けている。はだかの背中、はだかの尻、
はだかの胸、はだかの腹部、その下に剥き出しになっているはずの
性器は、若葉の影に隠れて見えない。見えない。
けれども、見えない闇のなかに、確実に狂った魂というものが、
存在するのだ。

 *

『彼の私的幻想は、彼一人の自閉的世界のなかで増殖し、一応適応している偽りの外面をついに突き破って踊り出してくる。はたから見れば、それが発狂である。発狂は、ある意味で、私的幻想の、失敗した共同化の試みであると言える。彼の私的幻想が妄想と呼ばれるのは、他の誰一人としてそこにひとかけらの共同性をも見なかったからである。一般の人々が……。』
 (『ものぐさ精神分析岸田秀)

 *

 歩いてゆき、
広場を抜けたところで、「精子発見のイチョウ」の前に出ている。
井上さんが、わたしにレンズを向けたまま、遠のいたり、
近づいたりしている。広場で、日光浴している女はまだ、
井上さんの目の淵を泳いでいるのだろうか……。
わたしはいつも、銀色の鱗の女に欲情する。その女を、
手荒く鷲掴み、組み伏せたくなる。イチョウの前から横道にそれる。
左側には、巨大なクスノキが立っている。

 *

 井上さんの机の前のボードに、写真が、ピンで止められている。
「ベランダで日光浴する氷見敦子」の写真。その写真から、
少し離れて、「ちりとりと箒を持つ和也」がいる。
和也、という小さな甥の名前を呼びつける、井上さんの声が、
ときおり、四畳半から聞こえてくる。

(和也、和也、和也、和也、和也、和也、和也、和也、和也、和也、
(血の杯を浴びるほど飲む人がいて、夢の家の
(長い廊下を銀河の方へ歩いていく

八王子では、恵子さんが男の子を生んで育てている。
練馬区では、紀子さんが女の子を生んで育てている。
フランスでは、まゆみさんが男の子を生んで育てている。
江東区では、祐子さんが女の子を生んで育てている。
わたしは男の子も女の子も生まず、どんな子供も育てていない。
わたしは、「わたし」を育てているのだ。密かに……。

 *

 左側には、巨大なクスノキが立っている。樹の下に入っていく、
わたしのあとから、三人の老婆も入って来る。老婆たちが、
太古から吹き寄せる風の音を、聞いている。音の出て来る通路が、
クスノキの葉影に開いていて、最後に、そこを通って、
カズヤが樹が下に入ってくる。
 井上さんが、霊の写真を撮るために少し近づいてくる。
見上げると、カズヤがこもれびとなって落ちている。カズヤの、
断片が、わたしの髪を染めながら、肩のあたりで飛び跳ねているのを、
感じる。感じているわたしの方へ、近づき、井上さんが、
霊に向かって、シャッターを切る。切る。笑って、
と言われて、猫のように笑ったのは、いつのことだろう……。
 わたしは、和也の前世を知らない。
一九八三年十二月六日に、銀河を経った男が、和也になる。
きっと、和也になるだろう。その男と、わたしの前世との関係を、
ほとんど思い出すことができない。その男と、愛し合っていたのか、
憎みあったいたのかすらも、もう、思い出すことはできない。
わたしの肩のあたりで、カズヤが光の渦を巻いている。
記憶の、うすく焦げた部分に、もうひとりの男が、
立っている。

(同人誌「ザクロ」昭和60年=1985年8月発表)


 氷見敦子(昭和30年=1955年2月16日生~昭和60年=1985年10月6日没・享年30歳)の没後刊行詩集『氷見敦子詩集』(思潮社・昭和61年=1986年10月6日刊)は第4詩集『柔らかい首の女』(昭和54年=1984年10月刊)の完成した1984年6月以降、1986年10月の氷見急逝までに書き継がれた14篇を制作順にまとめられた詩集で、今回の作品で詩集冒頭から10篇までをご紹介したことになります。氷見敦子の略歴、遺稿詩集『氷見敦子詩集』の制作背景は、これまでの9篇をご紹介した際にたどってきました。今回の、
○井上さんといっしょに小石川植物園へ行く (同人誌「ザクロ」昭和60年=1985年8月発表)
 は詩集中でも白眉をなす一篇です。氷見敦子は昭和59年12月25日に胃の2/3を切除する胃潰瘍手術で末期胃癌の進行と移転の判明が両親と恋人で事実婚にあった「井上さん」に宣告されていましたが、氷見敦子本人に病名が明かされたのは昭和60年9月、逝去の前月になってからでした。病名の告知が言及されるのは逝去の月に発表された詩集の終わりから二番目の商業誌発表作品「『宇宙から来た猿』に遭遇する日 」であり、詩集最後の作品は逝去翌月の同人誌に発表されます。「井上さんといっしょに小石川植物園へ行く」は150行以上の長詩が並ぶ詩集中盤以降でも200行近い長詩で、やはり詩集中最長の「『宇宙から来た猿』に遭遇する日 」と並んで詩集中の圧巻とも言える一篇です。

 氷見敦子が多用する「銀河」は明治現代詩には伊良子清白が抒情詩に用い、また昭和現代詩では宮沢賢治ダダイズム的発想から効果を上げていたものでした。またこれまでの詩にも「赤ん坊」が多用されてきましたが、「~小石川植物園へ行く」では「嬰児」であり、「銀河」「嬰子」とも伊良子清白の「漂泊」のキーワードに用いられていることでも比較になるでしょう。

「漂泊」  伊良子清白


蓆戸(むしろど)に
秋風吹いて
河添(かはぞひ)の旅籠屋(はたごや)さびし
哀れなる旅の男は
夕暮の空を眺めて
いと低く歌ひはじめぬ

亡(なき)母は
處女(をとめ)と成りて
白き額(ぬか)月に現はれ
亡(なき)父は
童子(わらは)と成りて
圓(まろ)き肩銀河を渡る

柳洩る
夜の河白く
河越えて煙の小野に
かすかなる笛の音ありて
旅人の胸に觸れたり

故郷(ふるさと)の
谷間の歌は
續きつゝ斷えつゝ哀し
大空(おほぞら)の返響(こだま)の音と
地の底のうめきの聲と
交りて調(しらべ)は深し

旅人に
母はやどりぬ
若人(わかびと)に
父は降(くだ)れり
小野の笛(ふえ)煙(けぶり)の中に
かすかなる節(ふし)は殘れり

旅人は
歌ひ續けぬ
嬰子(みどりご)の昔にかへり
微笑みて歌ひつゝあり

(初出・明治38年=1905年1月「文庫」、詩集『孔雀船』佐久良書房・明治39年1906年5月刊収録)

 ここで詠われる「漂泊」と血縁への執着は氷見敦子の詩でも変奏されますが、しかし氷見にとっての「銀河」は詩人自身が冥界に引きこまれる道で、発想自体がロマン主義の清白、ダダイズム指向の宮沢とも対立するものです。清白、宮沢とも「銀河」は他界の暗喩なのですが(宮沢の童話「銀河鉄道の夜」ではなお顕著です)、精白・宮沢の牧歌的な安らぎは氷見敦子にはなく、何より「植物園」が人工的な擬似自然であることがその証です。また本篇の時点ではまだ氷見敦子本人には余命宣告がされていませんが、すでに末期の眼になって詩作しているので、「八王子では、恵子さんが男の子を生んで育てている。/……」で始まる連は親友の女性たちのように子供を残せずに死んでいく痛切な断念が露出しています。この連は絶唱です。ここでも出てくる「まゆみさん」は「千石二丁目からバスに乗って仕事に行く」にも登場した女子大生時代からの親友ですが、女性へのレズビアン的感情も作品を追うごとに露わになっていきます。

 当時ベストセラーになっていた岸田秀の『ものぐさ精神分析』からの引用はまだ「オタク」という用語が一般化しないうちにそれ(例えば京都アニメーション放火襲撃事件)を言い当てたようなものですが、このベストセラーで一躍名を馳せた岸田は単位認定のために女子大生に肉体関係を強要する大学教授(まるでロラン・バルトのようですが)としても大学生の間では悪名高い悪質な学者でした。この引用自体は適切な効果を上げていますが、氷見敦子は知らなかったらしい岸田秀の裏の人柄や、のちの「オタク」概念の一般化を知る読者にはこの引用は'80年代的な風化を感じさせるのが唯一の残念な点になっています。

 すでに詩集冒頭の「消滅していくからだ」第1連末行に氷見敦子は「わたし、少しずつ死んでゆくみたいだ」と書いていますが、当時はまだ予感だったものが本篇の時期では「井上さん」や両親の態度、何より手術以降の体調悪化の自覚からほぼ確定しているので、本篇はすでに絶筆・遺作の貌を見せています。本篇の時点で『氷見敦子詩集』は逝去まであと5か月を切り、残り4篇はますます死への過程を深めていきます。今回も詩集目次を上げておきます。○は今回までにご紹介済み、●はこれからご紹介する予定の、最晩年の4篇です。

『氷見敦子詩集』

思潮社・昭和61年=1986年10月6日刊・目次
○消滅していくからだ (女性詩誌「ラ・メール」昭和59年=1984年10月発表)
○アパートに棲む女 (「現代詩手帖」昭和59年=1984年11月発表)
○神話としての「わたし」(同人誌「SCOPE」昭和59年=1984年9月発表)
○夢見られている「わたし」(同人誌「かみもじ」昭和59年=1984年10月発表)
○井上さんと東京プリンスホテルに行く (同人誌「SCOPE」昭和59年=1984年11月発表)
○千石二丁目からバスに乗って仕事に行く (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年1月発表)
○井上さんのいなくなった部屋で、ひとり…… (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年3月発表)
○井上さんと超高層ビル群を歩く (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年5月発表)
○一人ひとりの<内部>の風景を求めて (同人誌「漉林」昭和60年=1985年9月発表)
○井上さんといっしょに小石川植物園へ行く (同人誌「ザクロ」昭和60年=1985年8月発表)
●東京駅から横須賀線に乗るとき (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年9月発表)
半蔵門病院で肉体から霊が離れていくとき (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年7月発表)
●「宇宙から来た猿」に遭遇する日 (「現代詩手帖」昭和60年=1985年10月発表)
日原鍾乳洞の「地獄谷」へ降りていく (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年11月発表)