人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

近藤東詩集『抒情詩娘』(昭和7年=1932年刊)後編

『詩集 抒情詩娘』昭和7年=1932年11月1日・ボン書房刊(袖珍判本文24頁・限定200部・定価20錢)
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(近藤東<明治37年=1904年生~昭和63年=1988年没>)
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近藤東自筆原稿「レエニンノ月夜」
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湾ハ青イ薔薇ヲ發(ヒラ)イテヰタ。《イタリア》船ガ花瓣ヲ卸ヘテ來タ。

少女ガ死面ヲ國旗ニ包ンデヰタ。

ボクハ彼女ヘノ文學ヲ持タナイ。ボクハカナシイ無電技師(マルコニイ)デアル。

(昭和4年=1929年6月「詩と詩論」・原題「湾」)

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ヲンナハ五本ノ指ヲ白ク解(ホグ)シテ合圖スル。
ソレハボクニ熱イ花ノ氣ガスル。

故意ニボクハ鏡ノ中へ視線ヲ外ラセル。
鏡ニハ一輪ノ《グラヂオラス》ガボクヲ招ンデヰタ。
窓ノ方へ發(ヒラ)イテ。

海ノアル窓。濡レタ日章旗
港デハ一隻ノ MARU-SHIP ガユツクリト《グレイン》ヲ移動サセテヰタ。
西班牙扇子ヲ使フヤウニ。

《グラヂオラス》ガ烈シク匂ツタカト思フト
ボクハ頬ノアタリニ一點ノ柔カイ壓力ガ加ハルノヲ感ジタ。
ソシテボクノ決心。

(再録詩集改題「西班牙扇子」・原題「鼻唄」前半のみ昭和7年=1932年9月「文藝汎論」)

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オ前ノ口説(クゼツ)ハ
《ユニオン・ジヤツク》ノ匂ガスル。

港ノ女ヨ――

(詩集書き下ろし・再録詩集改題「港ノ女」)

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青イ戰捷碑。柵。《スロオプ》。見エナイ帆船ガ解纜スル。《コロムブス》ハタブン《イスパニア》へ歸ルデアラウ。

――満月!
――アア、朝ノ満月。
――ボクラノ丘。蔓草。明ルイ Mons Pubis……
――Mons Pubis? オバカサン。

《コロムブス》ハ一通ノ手紙ヲ忘レタ。ヲンナノ《ケイプ》ニハ郵便切手ガ貼ツテアル。

(昭和4年=1929年9月「詩と詩論」・原題「丘」)

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<アタシ? イマ? オセンダクシテタノヨオ>
バケツノ水ガ海ニナリタガツテヰル。

少女ガキモノヲ脱グト化粧鏡ノ中ニ雲ガ浮イタ。少女ハ手套(テブクロ)ノヤウニピツチリト水着ヲツケテヰル。アシノウラガクスグツタガル。

少女ハデンワノ受話器ヲモツタママ眠ツタ夢ヲ見タ。ソノ夢ヲオモヒダシシテアカイ顔ヲスル。少女ノ絹布製ノ天幕ノ入口ヲ右手ノ《ステツキ》デ撥ネテクグルトボクハ三倍モ明ルイ一列ノ白イ丘丘ヲ《パノラマ》シタ。シカシ既ニ少女ハ答ガナカツタ。

(昭和6年=1931年9月「詩と詩論」・原題「少女」)

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ボクラハ古風ナ辻馬車ヲ拾ツタ。馬車ハ銅貨ノヤウニ日向ノ街角ヲ廻ツタ。

《レモン》型ノ《フツト・ボオル》ガ昼ノ月ノヤウニ空ニ飛ンデヰタ。日本人《チイム》ガ失敗ヲツヅケテヰタ。《ポロ・グラウンド》ノ競技場旗ガ風ヲ彩色シテヰタ。ボクラハ出來ルダケ《エキサイテイング》ニ唄ヲ唄ツタ。

女ハ祖國ノ政府ヲ軽蔑スルタメニ白イ《リボン》ヲ頸ニ捲イテヰタ。ボクラハ溶解シナイ思想ノタメニ別離ヲ決心シタ。眼ノ中デ魚(サカナ)ガ泳イダ。《エレヴエイタア・ロビイ》ニハスバラシイ大理石ガ張ツテアツタ。ボクハ辷ル足モトヲ氣ニシナガラナガイナガイ最後ノ抱擁ヲシタ。

(昭和6年=1931年6月「詩と詩論」・原題「朝」。再録詩集では前半2連に1連を足して「朝」、最終連を独立させ「白イ《リボン》」と改題)

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アノ《マダム》ハ瞳(メ)ニマデ白粉(オシロイ)ヲツケテヰル!

(詩集書き下ろし・再録詩集なし)

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新婦ノ右ノ眼ハ義眼デアツタ。ソレ故新婦ノ右ノ眼ハ無思想デアツタ。ソレデモ新婦ノ左ノ眼ハ彗星ヲ嫉妬シタ。彗星ヲ。

新婦ハ一ツノ郊外撞球場ノゲイム採リデアツタ。新婦ハ東日本ノ淫賣婦デアル。

新婦ハ今宵《クララ》ノヤウニ結婚シタ。ボクノ花礫ハ三片ノ銅貨デアル。花礫ガ頬ペタニ痛イダラウ。花礫ガ頬ペタニ痛イダラウ。

(原題「新婦」昭和4年=1931年12月「詩と詩論」)

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天使ガ最初ニ出會ツタノハ、ユタカナ鳳梨ノ實デアツタ。鳳梨ノ實ヲ甜メテヰル《ニグロ》ノ女デアツタ。

《ニグロ》ノ女ハ鳳梨ノヤウナ乳房ヲフサフサト波ウタセテ、皓イ齒デ笑ツタ。

部厚イ彼女ノ表皮ノ上ニ灣ガアル。浅瀬ガ快適ニ温(ヌル)マツテヰタ。

天使ハ鳳梨ノ實ヲ甜メテ、ソノ酸味ニ眉ヲヒソメナガラ、蒼然ト墮落シテ行ツタ。

(昭和6年=1931年9月「詩と詩論」・原題「《ニグロ》」)

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ヲンナノ髪ニ昨夜ノ新月ガ引懸ツテトレナイ。
ヲンナノ腋毛ハ飴色ノ腋毛ダ。

窓ノ港ニハ白イ《パイロツト・ボオト》ガ揺レテヰタ。
フタリハ急ニ悲シクナツタ。

日本ノ軍艦ガ遡航シテ入港シタ。午後三時。
――トウトウ驅逐艦デ追ツカケテ來タワヨ。

(昭和4年=1931年5月「改造」・原題「逃亡」。懸賞詩一等当選作「《レエニン》ノ月夜」と同時掲載)

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橋。少女。少女ハ掌ヲサシノベル。晴天ノ下ニ。
少女ハボクニ戀ヲシテヰル。ボクハ少女ヘノ口説ヲ知ラナイ。白クマロカナ掌ヲ散歩スルノミデアル。

白クマロカナ掌ハ春メイテヰタ。
白クマロカナ掌ハ外光ヲ反射シテヰタ。
白クマロカナ掌ニボクハ彼女ノ持ツ《スロオプ》ヲ測量シテヰタ。

白クマロカナ掌ニ一點ノ陰影ガ移行スル。見上ゲレバ一隻ノ航空船ガカナシゲニ游イデヰタ。ボクヲサゲスンデ游イデヰタ。

(昭和6年=1931年6月「詩と詩論」・原題「掌」)

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ヲンナハ踊子デアツタ。生姜色ノ皮膚ヲシテヰタ。《スカアト》ヲ展イテ足止(トウ)デ立ツトボクノ右肩ノアタリデ一本ノ海濱日傘ガボクヲ《シエイド》スル。ボクノユビハハダシニナツテ砂ヲフミハジメル。《タイプライタア》ノ《キイ》ノ上デ。

(昭和6年=1931年9月「詩と詩論」・原題「夏の唄」)

(以上詩集完・原詩のゴシック体部分は《》で括りました)


 今回ご紹介した後半の12篇で詩集『抒情詩娘』は全編になります。詩集自体が短詩ばかりで収録詩編が少ないこともあり、もともと見返しを除く本文は24ページ(横長で1ページ1篇)という小冊子です。全24篇すべてが無題で「★」印で区分されていますが、前回ご紹介した詩集前半12篇のうち、8篇目の「★」が昭和4年(1929年)春に行われた総合誌(当時「文藝春秋」中央公論」と肩を並べた大雑誌)改造社の「改造」の創刊100号記念懸賞詩で応募総数2,500編から第1等に選出され、賞金100円(物価指数で現在の150~180万円相当)を獲得した「《レエニン》ノ月夜」になります。この作品がアジア圏への日本の植民地進出を背景に、多国籍・無国籍的なエロティシズムと政治的状況を揶揄的に描いたモダニズム文学の典型例であることは前編で述べた通りです。それは昭和5年前後の数年間にのみ成立したことで、以降緊迫化していく大東亜戦争下では書かれ得なかったものでした。

 この詩集『抒情詩娘』がそれほど大きな位置を日本の詩に占めていないとしても――例えば昭和5年には小林秀雄訳のランボオ『地獄の季節』と三好達治『測量船』、昭和6年には草野心平『明日は天氣だ』、『抒情詩娘』と同年の昭和7年には乾直恵『肋骨と蝶』と丸山薫『帆・ランプ・鴎』、昭和8年には西脇順三郎『Ambarvalia』、昭和9年には萩原朔太郎氷島』と中原中也『山羊の歌』、昭和10年には伊東静雄『わがひとに與ふる哀歌』と日本の昭和初頭の現代詩の里程標的詩集が並ぶので、これらの詩集の前では『抒情詩娘』は落書きみたいな重みしかないかもしれません。しかし『抒情詩娘』ほど徹底した軽薄さ、多国籍というより無国籍とすべき無責任な内容は詩による詩のパロディですらあり、パロディとは批評的な客観的自意識なしには成立しないものです。個別の詩にタイトルをつけず断片の羅列のように並べる例は大正12年(1923年)の『ダダイスト新吉の詩』の後半「一九二一年集」66篇にあり、昭和3年(1928年)の『高橋新吉詩集』全101篇も無題・通し番号のみの詩集ですが、『ダダイスト新吉の詩集』は高橋新吉が師事した辻潤編、『高橋新吉詩集』は高橋のパトロン佐藤春夫編ですから最初から無題だった断片をまとめて収録するダダ的に投げやりな効果を狙ったたものでしょう。近藤の場合は発表誌ではタイトルがついていたもの、とりわけ詩集の代表作である「《レエニン》ノ月夜」すら含めて収録作品全編を「★」にしてしまったわけで、個別の詩篇ではなく詩集全体が緩い括りの連作長編詩と見ることもできます。『抒情詩娘』は単独ではあまり意味をなさない詩集かもしれませんが、同時代の優れた詩集と並べると奇妙な存在感を放って見える作品集でもあります。見かけに反して、これはなかなか喰えない詩集です。

 この詩集で詩誌発表時のタイトルを抹消し、全24篇すべてを無題の「★」で統一したのは詩篇単位の作品的な完結性を否定したとまでは言えないまでも詩篇ごとの主題を打ち消したものとも言え、詩集のタイトルもまた最初からイロニーの効果を狙ったものです。『抒情詩娘』というタイトルで本気で抒情詩の詩集を出す詩人はいませんが、『抒情詩娘』というタイトルで抒情詩のパロディを試みることはできるので、近藤東の発想は伊東静雄の『わがひとに與ふる哀歌』(昭和10年=1935年)に近いものでしょう。同時代の詩人では抜群に優れた天性を持った中原中也や逸見猶吉がいたにもかかわらず、中原や逸見には終生ロマン主義象徴主義への本質的な懐疑はなかったのと対照をなすのが『抒情詩娘』や『わがひとに與ふる哀歌』です。もちろんすべての詩の成り立ちに疑いがなければならないわけではありませんが、近藤や伊東は詩を疑い、また詩人である自分を疑いながら詩作し詩集を編んだのに対し、中原や逸見は世界を疑う根本に自分自身への確信、詩への確信がありました。

 ここで逆転現象が起きるのが詩と現実世界との関係で、中原や逸見の場合には現実は抽象的にイデア化されて把握されてしまうのに対し、近藤や伊東の詩は一見きわめて人工的に見えながら、現実との抵抗感をもって世界の実在を具体化していることです。近藤東は発表後20年あまり経った昭和25年(1950年)に「《レエニン》ノ月夜」を自作自解していますが(『詩の教室-詩作ノート(上)』新日本詩人刊行会)、そこでは自作を平がな・ゴシック体なし・略字体に改めています。『抒情詩娘』版と自作自解版を並記してみましょう。

「《レエニン》ノ月夜」(『抒情詩娘』版)

橋カラノ下リ勾配。黄包車(ワンポツオ)ハ西瓜ノ種ダ。西瓜ノ種ハ《コムニスト》デハナイ。

黄浦江ノ靄ハ拳銃ヲ亂射シタ。《ソヴイエエト》領事館ノ窓ガ無數二散ツテ光ツタ。空色ノ軍艦ガ水兵ヲ吐瀉シタ。陸戦隊。透明ナ哨兵ハ一着ノ黄合羽(エロウスリツカア)デアル。

ボクハ月夜ヲ感ジタ。月夜ヲ。《レエニン》ノ月夜ヲ。寝台(ベツド)ノ中デ。女ハ白系《ロシア》ノ食用薔薇。女ハ機関車ノヤウニオシカカツテ來タ。ボクハ轢死スル。

レーニンの月夜」(自作自解版)

橋からの下り勾配。黄包車(わんぽつお)は西瓜の種だ。西瓜の種はコムニストではない。

黄浦江の靄(もや)は拳銃を乱射した。ソビエト領事館の窓が無数に散つて光つた。空色の軍艦が水兵を吐瀉した。陸戦隊。透明な哨兵は一着の黄合羽(エロウ・スリツカア)である。

ぼくは月夜を感じた。月夜を。レーニンの月夜を。寝台(ベツド)の中で。女は白系ロシアの食用薔薇。女は機関車のようにおしかかつて来た。ぼくは轢死する。

 もともとこの詩は懸賞詩応募の時点ではカタカナ表記ではなくゴシック体表記も使われず、『上海-未定稿』の総題で5篇の連作として「詩と詩論」昭和4年(1929年)3月に発表された際に他の詩篇ともどもカタカナに統一されたそうですから、カタカナ版は無題の「★」ということになります。下り勾配は上海のゲートを指し、黄包車と呼ばれる人力車に人々が吐き出された西瓜の種のように群がる様子を描いています。だが比喩表現ではない現実の西瓜の種は「コムニストではない」のです。つまりこの詩には比喩表現として用いられた語句が一転して具体物を示すことになる構造が冒頭から提示されており、平がな表記では文法からその区別は読み取りやすいでしょう。ところがカタカナ表記では文法の読み取りが困難になり、単語単位の判別から読み進むので叙述の次元が比喩か現実かまで注意が向かなくなってきます。その点で同じカタカナ表記の手法でも逸見猶吉は攻撃的・破壊的な効果を狙ったもので、意図的に喩法の次元の混乱をカタカナ表記から生み出した近藤とは発想がまったく異なります。逸見と近藤の違いを、萩原朔太郎の『月に吠える』と山村暮鳥の『聖三稜玻璃』の喩法の差に例えてもいいでしょう。

 総合的な優劣とは別に、『抒情詩娘』が同時代の、より優れた詩集に勝る方法意識があるのは、おおむね上記の点に依ります。軽佻浮薄を絵に描いたような無内容な詩集、という評価は刊行当時すでにありましたし、それなら『聖三稜玻璃』もさらに悪評で迎えられた詩集でした。それよりも読み手の側にどれだけ汲み取ることができるかで詩集の価値は上がりも下がりもします。一見他愛もない典型的モダニズム詩集と見えて本当に他愛もないからこそ本作の真価と実現し得た詩的世界があるだけに、『抒情詩娘』は現代詩の読者にとってさえもっとも手ごわい詩集と言えるのです。

(旧稿を改題・手直ししました)