高橋睦郎詩集『薔薇の木・にせの恋人たち』
昭和39年(1964年)・現代詩工房刊
後年は古今東西の古典に通じた学匠詩人の風貌を帯び、清岡卓行、那珂太郎、飯島耕一、大岡信、入沢康夫らの逝去を継いで今では芸術院会員の現役長老詩人となりましたが、高橋睦郎(昭和12年=1937年・北九州生まれ)は母子家庭に育ち、苦学と就職難を重ね、1歳下の歌人・春日井健(歌集『未青年』昭和35年=1960年)と並んで初めて日本で本格的なゲイの詩集を上梓し、三島由紀夫に認められた詩人でした。1960年代いっぱいまでの第1詩集『ミノ・あたしの雄牛』(昭和34年=1959年)、第3詩集『眠りと犯しと落下と』(昭和40年=1965年)、第4詩集『汚れたる者はさらに汚れたることをなせ』(昭和41年=1966)の詩集はどれもがのちのイギリスのゲイ映画監督テレンス・デイヴィスの作品を思わせる静謐で悲痛な叫びに満ちていますが、今回は特に「バラであり/ユリである/にせの恋人たちに」と献辞がある第2詩集『薔薇の木・にせの恋人たち』(昭和39年=1964年・現代詩工房刊)から3篇をご紹介します。
*
「死んだ少年」
ぼくは 愛も知らず
恐ろしい幼年時代の頂きから 突然
井戸の暗みに落ちこんだ少年だ
くらい水の手が ぼくのひよわなのどをしめ
つめたさの無数の錐が 押し入ってきては
ぼくの 魚のように濡れた心臓をあやめる
ぼくは すべての内臓で 花のようにふくれ
地下水の表面を 水平にうごいていく
ぼくの股の青くさいつのからは やがて
たよりない芽が生え 重苦しい土を
かぼそい手で 這いのぼっていくだろう
青ざめた顔のような一本の樹が
痛い光の下にそよぐ日が来るだろう
ぼくは 影の部分と同じほど
ぼくの中に 光の部分がほしいのだ
「少年たち」
坂みちにかたまって
少年たちの飢餓は
神像のようにかがやいていた
目の下にかたまったかれらのみじめな町
かれらと同じ高さにひろがって
叫びたくなるような凍傷の空に
遠くに行ったかれらの母が
魔物のような大きさで
目を伏せていた