(岩田宏<昭和7年=1932年3月3日生~平成26年=2014年12月2日没>)
岩田宏(昭和7年=1932年3月3日生~平成26年=2014年12月2日没・北海道生まれ)には『独裁』昭和31年(1956年)から始まり『いやな唄』昭和34年(1959年)、『頭脳の戦争』昭和37年(1962年)、詩画集『グアンタナモ』昭和39年(1964年)、『岩田宏詩集』昭和41年(1966年・既刊5詩集全編に未発表詩篇を追加した全詩集)、詩文集『最前線』昭和47年(1972年)の6冊の詩集があり、以降は小説・翻訳に専念しています。没年の平成26年(2014年)には『岩田宏詩集』と『最前線』から約6割を選出した『岩田宏詩集成』(書肆山田・平成26年12月1日刊)が刊行されたばかりでした。筆者は昭和41年版『岩田宏詩集』を長年愛読していすが、今回改めて再読して感嘆しました。34歳の全詩集は700頁の大冊で、詩集未収録詩篇が300頁を占めています。これは享年30歳で逝去した中原中也全詩集の倍近い分量です。一見平易で親しみ易い作風、多彩さ、多作さで匹敵するのは同世代では谷川俊太郎が唯一でしょうか。ですが岩田は谷川ほど知られていません。これは谷川が例外的な存在なのですが、全詩集『岩田宏詩集』は戦後詩の金字塔と言える詩集ですです。詩集『頭脳の戦争』から傑作と名高い「感情的な唄」「動物の受難」をご紹介しましょう。まず先に「感情的な唄」です。
感情的な唄
岩田 宏
学生がきらいだ
糊やポリエチレンや酒やバックル
かれらの為替や現金封筒がきらいだ
備えつけのペンや
大理石に埋ったインクは好きだ
鳩
極端な曲線
三輪車にまたがった頬の赤い子供はきらいだ
痔の特効薬が
こたつやぐらが
井戸が旗が会議がきらいだ
邦文タイプとワニスと鉄筆
ホチキスとホステスとホールダー
楷書と会社と掃除と草書みんなきらいだ
脱糞と脱税と駝鳥と駄菓子と打楽器
背の低い煙草屋の主人とその妻みんな好きだ
バス停留場が好きだ好きだ好きだ
元特高の
古本屋が好きだ着流しの批評家はきらいだ
かれらの鼻
あるいはホクロ
あるいは赤い疣あるいは白い瘤
または絆創膏や人面疽がきらいだ
今にも泣き出しそうな教授先生が好きだ
今にも笑い出しそうな将軍閣下がきらいだ
適当な鼓笛隊
正真正銘の提灯行列がきらいだきらいだ
午前十一時にぼくの詩集をぱらぱらめくり
買わずに本屋を出て
与太を書きとばす新聞社の主筆がきらいだ
やきめしは好きだ泣き虫も好きだ建増しはきらいだ
猿や豚は好きだ
指も
(詩集『頭脳の戦争』昭和37年=1962年より)
岩田宏は本名の小笠原豊樹名義でも高名な翻訳家で、ロシア文学とアメリカのハードボイルド・ミステリという一見相反して実際相反する分野に定評がありました。原著より素晴らしい、と言われるくらい美しく流麗な訳文で、筆者も中学生の頃は図書館から借りてきた小笠原豊樹の訳書から、気に入った箇所をノートに筆写したりしていたほどです(おかげで作文の腕前も多少は上達したはずです)。この詩人=翻訳家はまさに言葉の手品師ともいえる達人で、正確で端正な翻訳を手掛ける一方、詩作では発想も表現も自由奔放を極めることもできました。「感情的な唄」はほとんど連想のなすがままに、その実冷静で入念な計算のもとに作品を構成しています。おそらくこれは翻訳不可能な詩の極致でしょう。外国語訳どころか、これは他人はおろか本人ですら二度は使えない手法です。ですがもし岩田宏=翻訳家・小笠原豊樹自身の手腕なら、これをロシア語、またはアメリカ英語に見事に移植してみせたと思われます。もちろんそれは言語の違いだけ異なったものにはなるでしょうが、どの時代のどの国にも岩田宏に匹敵するほどの詩人がいるとは限りないからには岩田宏は世界的水準でも現代詩最高の詩人のひとりで、かつ日本の現代詩に収まらないスケールを誇り得る詩人でした。その意味で、真に岩田宏の後継者たる詩人は現代日本には現れていないでしょう。それに小笠原豊樹名義で上梓されたマヤコフスキー、ソルジェニツインからクリスティー、マーガレット・ミラー、ブラッドベリ、ロス・マクドナルドにいたる素晴らしい翻訳の数々も。
全詩集のあとがきによると岩田宏の詩作は14歳から始まり、初期は萩原恭次郎の『死刑宣告を模倣していたといいます。人は見かけによらないものです。では詩人・岩田宏の詩作品はロシア文学とハードボイルド・ミステリとどう関係があるかというと、表向きは見事なまでに関係ないのです。幸い手元には高校生の頃に下北沢の白樺書院で2000円で買った昭和41年(1966年)刊の全詩集がありますが、岩田宏の詩はその全詩集に尽きているとも言えて、次作の『最前線』は詩、短編小説、エッセイの寄せ集めで、純粋な詩集ではなく、また収録詩篇も岩田宏の関心が小説やエッセイなど散文に向かっているのを痛感させる散漫さを感じさせるものでした。岩田宏がもっとも詩人として冴えていた第3詩集『頭脳の戦争』から、「感情的な唄」と並んで名作と名高い、より親しみやすいもう一篇「動物の受難」を上げます。こちらは八方破れな「感情的な唄」とは異なり、詩行の形式化によって残忍でグロテスクなユーモアを醸し出している詩篇です。
動物の受難
岩田 宏
あおぞらのふかいところに
きらきらひかるヒコーキ一機
するとサイレンがウウウウウウ
人はあわててけものをころす
けものにころされないうちに
なさけぶかく用心ぶかく
ちょうど十八年前のはなし
熊がおやつをたべて死ぬ
おやつのなかには硝酸ストリキニーネ
満腹して死ぬ
――さよなら よごれた水と藁束
たべて 甘えて とじこめられて
それがわたしのくらしだった
ライオンが朝ごはんで死ぬ
朝ごはんには硝酸ストリキニーネ
満腹して死ぬ
――さよなら よごれた水と藁束
たべて 甘えて とじこめられて
それがわたしのくらしだった
象はなんにもたべなかった
三十日 四十日
はらぺこで死ぬ
――さよなら よごれた水と藁束……
虎は晩めしをたべて死ぬ
晩めしにも硝酸ストリキニーネ
満腹して死ぬ
――さよなら よごれた水と……
ニシキヘビはお夜食で死ぬ
お夜食には硝酸ストリキニーネ
まんぷくして死ぬ
――さよなら よごれた……
ちょうど十八年前のはなし
なさけぶかく用心ぶかく
けものにころされないうちに
人はあわててけものをころす
するとサイレンがウウウウウウ
きらきらひかるヒコーキ一機
あおぞらのふかいところに
(詩集『頭脳の戦争』昭和37年=1962年より)
なお現在新刊で入手できる『岩田宏詩集成』(書肆山田・平成26年12月1日刊)は、
第1詩集『独裁』昭和31年(1956年)=全16篇から10篇収録
第2詩集『いやな唄』昭和34年(1959年)=全22篇から16篇収録
第3詩集『頭脳の戦争』昭和37年(1962年)=全30篇から28篇収録
詩画集『グアンタナモ』詩画集『グアンタナモ』昭和39年(1964年)=全9篇から6篇収録
全詩集『岩田宏詩集』昭和41年(1966年・既刊5詩集全編に未発表詩篇を追加した全詩集)=「その他」全69篇から35篇収録
詩文集『最前線』昭和47年(1972年)=全42篇から13篇収録
と、全188篇から108篇を選出した選集です。詩書としては価格を抑える(4,500円)ための制約や詩人自身の意向もあったでしょうが、膨大なエッセイ集、小説、翻訳を別としても岩田宏の詩業は昭和41年版全詩集『岩田宏詩集』と昭和47年の詩文集『最前線』の188篇すべての集成が望ましく、また『岩田宏詩集』と『最前線』のほぼ全篇は思潮社の「現代詩文庫」版でロングセラーを続けている『岩田宏詩集』『続・岩田宏詩集』で読めるので、全詩業の60パーセント弱の選詩集が遺著になったのは惜しまれます。
(旧稿を改題・手直ししました)