人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ハンプトン・ホウズ Hampton Hawes - エブリバディ・ライクス・ハンプトン・ホウズ Everybody Likes Hampton Hawes, Vol.3; the trio (Contemporary, 1956)

エブリバディ・ライクス・ハンプトン・ホウズ (Contemporary, 1956)

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ハンプトン・ホウズ Hampton Hawes - エブリバディ・ライクス・ハンプトン・ホウズ Everybody Likes Hampton Hawes, Vol.3; the trio (Contemporary, 1956) : https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_nf9g5OBguuq82tCTVPWZqqayI9Bz77f40
Recorded at Contemporary's Studio in Los Angeles, California, January 25, 1956
Released by Contemporary Records Contemporary C3523, 1956
Enginered by Roy DuNann
Produced by Lester Koenig
All compositions by Hampton Hawes except as indicated
(Side 1)
1. Somebody Loves Me (George Gershwin, Buddy DeSylva, Ballard MacDonald) - 5:32
2. The Sermon (Hampton Hawes) - 3:42
3. Embraceable You (George Gershwin, Ira Gershwin) - 4:58
4. I Remember You (Victor Schertzinger, Johnny Mercer) - 4:28
5. A Night in Tunisia (Dizzy Gillespie, Frank Paparelli) - 3:54
(Side 2)
1. Lover, Come Back to Me/Bean and the Boys (Sigmund Romberg, Oscar Hammerstein II; Coleman Hawkins) - 5:13
2. Polka Dots and Moonbeams (Jimmy Van Heusen, Johnny Burke) - 4:42
3. Billy Boy (Traditional) - 3:01
4. Body and Soul (Johnny Green, Frank Eyton, Edward Heyman, Robert Sour) - 4:17
5. Coolin' the Blues (Hampton Hawes) - 4:18

[ The Hampton Hawes Trio ]

Hampton Hawes - piano
Red Mitchell - bass
Chuck Thompson - drums

(Original Contemporary "Everybody Likes Hampton Hawes" LP Liner Cover & Side 1 Label)
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 1950年代のモダン・ジャズ・ピアニストは名手に欠きませんでしたが、中でも誰がいいかと言うとロサンゼルスに生まれ、アメリカ西海岸のジャズ・シーンで活躍したピアニスト、ハンプトン・ホーズ(1928年11月13日生まれ-1977年5月22日没)になります。父は黒人長老派教会の牧師、母は教会のピアニストという恵まれた家庭に育ったホウズはハイスクール在学中からプロとして活動し、卒業したその日にはジェイ・マクニーリー楽団に押しかけ入団、2~3か月後には最新のビ・バップ・シーンで西海岸きってのバップ・トランペット奏者ハワード・マギーのバンドメンバーとなり、マギーのバンドで西海岸ツアーに来て約1年半ロサンゼルスに滞在したチャーリー・パーカーと共演しています(1947年3月)。白人ジャズマンの比率が高かったウエストコースト・ジャズにはアレンジ偏重や軟弱さなど先入観がつきまといがちですが、正統的なビ・バップ・ピアニストのホーズはバド・パウエル派ピアニストらしいスウィング感を誇りながらワーデル・グレイデクスター・ゴードンソニー・クリスらビ・バップ直球のサックス奏者とも、ショーティー・ロジャース(『Modern Sounds』1951年10月録音)やアート・ペッパー(『Surf Ride』1952年3月録音)ら白人ジャズマンのサイドマンとしても堅実な腕前を見せ、ロサンゼルス出身の黒人バップ・ピアニストとしては早くからニューヨークに進出したソニー・クラーク、夭逝したカール・パーキンスと並び、全米的なレコード売り上げによる人気の高さではクラークやパーキンスを抜く存在でした。1952年9月にはジョー・モンドラゴン(ベース)、シェリー・マン(ドラムス)とのトリオでインディー・レーベルのディスカバリーに初のリーダー録音4曲を吹きこみますが、1953年~1955年の2年間は兵役に取られ日本に駐屯して過ごします。麻薬癖からほとんど営倉に拘置されていましたが、外出許可時にはビ・バップ学習期にあった秋吉敏子渡辺貞夫ら日本の若手ジャズマンとジャムセッションして戦後の日本のモダン・ジャズ定着に大きな貢献をします。ようやく帰国して除隊した1955年にはシェリー・マンからロサンゼルスきってのインディー・レーベル、コンテンポラリーに紹介され、社主のレスター・ケーニッヒもホウズのアルバム制作を熱望していました。コンテンポラリーと契約を結んだ同日に常連出演していたクラブのオーナーからホウズと組みたいというベーシストを紹介され、そのベーシストがニューヨーク出身でレッド・ノーヴォ(ヴィブラフォン)・トリオでチャールズ・ミンガスの後任を勤めていたレッド・ミッチェルで、初対面のセッションから意気投合したホウズとミッチェルはさらに旧知のドラマー、チャック・トンプソンを迎えてハンプトン・ホウズ・トリオを結成し、2週間契約だったクラブ出演は8か月のロングラン公演となって大好評を収めます。トリオのファースト・アルバム『The Trio Vol.1』はクラブ出演の最中、1955年6月28日の夜中から朝までにロサンゼルス警察学校体育館で、プロデューサーのケーニッヒ、エンジニアのロイ・デュナン、トリオのメンバーの奥さんたちを交えて行われました。2か月後に発売されたアルバムはコンテンポラリー・レコーズきってのベストセラーとなり、ホウズの名を全米的に知らしめるヒット作になりました。1955年は12インチLPレコード普及の最初の年であり、SPレコードや10インチLPのコンピレーションではなく最初から12インチLPとして制作されたホウズのアルバムは1955年にあって最上の録音、秀逸なジャケット、素晴らしい内容でジャズのピアノ・トリオ・アルバムとして最高の完成度を誇るものでした。

 コンテンポラリーは続いて1955年12月3日・1956年1月25日録音の『The Trio Vol.2』、1956年1月26日録音の『Everybody Likes Hampton Hawes, Vol.3; the trio』を同一メンバーで制作し、1956年11月12日~13日にはドラマーがエルドリッチ・フリーマンに交替、さらにギタリストのジム・ホール(元チコ・ハミルトン・クインテット、のちジミー・ジュフリー・トリオ、ソニー・ロリンズ・カルテット、アート・ファーマー・カルテット)を加えたカルテットで全16曲をスタジオ・ライヴ形式で録音し、演奏順・未編集で『All Night Session Vol.1』『Vol.2』『Vol.3』の3枚に分けて発売しました。『The Trio』の三部作で全米的な人気ピアニストになっていたホウズは『All Night Session』三部作で名声を決定的なものにし、1957年初夏にはニューヨークで先にニューヨーク進出していた親友ソニー・クラークと同居生活しながら『Curtis Fuller And Hampton Hawes with French Horn』(プレスティッジ、5月録音)、チャールズ・ミンガス唯一のピアノ・トリオ作『Mingus Three』(ジュビリー、7月録音)に参加しますが、ジャズマン激戦区のニューヨークではクラークともどもレコーディング以外の仕事はなく、ロサンゼルスに戻ってバーニー・ケッセル(ギター)、ミッチェル、マンとのカルテットで『Four!』(コンテンポラリー、1958年1月録音)、ハロルド・ランド(テナーサックス)、スコット・ラファロ(ベース、レッド・ミッチェルの弟子)、フランク・バトラー(ドラムス)のカルテットで『For Real』(コンテンポラリー、1958年3月録音)、ソニー・ロリンズの『コンテンポラリー・リーダース』(コンテンポラリー、1958年10月録音)の参加を経てルロイ・ヴィネガー(ベース)、スタン・リーヴィー(ドラムス)とのトリオで『The Sermon』(コンテンポラリー、1958年11月録音)を制作しますが、1959年には麻薬取締法で懲役10年の実刑判決を受けてしまいます。J・F・ケネディの暗殺による恩赦で5年の刑期に短縮され1964年には釈放されましたが、1960年代にはコンテンポラリーから4作のアルバムを発表するもアメリカ国内では保釈扱いのためライヴ活動はできず、'60年代後半からはドイツ、フランスに渡って本格的なアルバム制作とライヴ活動をようやく再開します。1970年代には・ビバップ再評価の風潮に乗って再び人気を取り戻し、晩年の作風は1歳年少のビル・エヴァンスから逆影響を受けたものでした。

 ホウズはマグマのたぎるようなバド・パウエルドライアイスのようなレニー・トリスターノとは違い、天才型でも際立った個性派でも超絶技巧型でもイノヴェーターでもないジャズマンでしたが、節度と品格があり軽やかで、抜群にスウィングもすればしっとりとしたバラード演奏にも優れ、洗練されたブルース感覚とリズム感には天稟の資質の良さがあり、中庸的な作風の中で最良の演奏が聴ける、波乱に富んだ生涯が演奏を損ねることがなかった素晴らしいジャズ・ピアニストでした。ホウズのアルバムは初期から順に聴いていくのが良く、出来映えからもデビューへの意欲からも最初のフルアルバム『The Trio Vol.1』が極めつけで、ロサンゼルスのジャズ界に不況が訪れ一度ニューヨークに進出して戻ってくるまで(両都市は交互に好況と不況をくり返していたした)の『The Trio』三部作、『All Night Session』三部作はどれも良く、1958年いっぱいまでの『Four!』『For Real』『The Sermon』と徐々に下降線をたどりますが、今回はホウズのキャリアの概略とともに『The Trio』三部作の3作目『エブリバディ・ライクス・ハンプトン・ホウズ』を上げました。1956年、昭和で言うと昭和31年にしてこの洒落たジャケットはニューヨークではないロサンゼルスの西海岸ジャズならではのセンスで、再発盤以降拝見が白地ではなくマリンブルーのものもありますが、ジャズのイラストのワニジャケと言えば本作です。ロサンゼルスの戦後の西海岸ジャズは1946年のチャーリー・パーカーの滞在に始まり、1955年と1956年にピークを迎えました。その2年間に西海岸(ロサンゼルス、ハリウッド)で制作されたモダン・ジャズのアルバムは名盤とされているものだけでも優に4~5ダースはあり、ニューヨーク中心の戦後モダン・ジャズ史からは見過ごされがちな埋もれた秘宝に満ちています。エキセントリックな、またはインパクトの強いニューヨーク・ジャズと較べると本作の軽やかな良さは別世界ですが、これもまたジャズの本流をなしているのです。