(蒲原有明<明治8年=1875年生~昭和27年=1952年没>)
智慧の相者は我を見て
智慧(ちゑ)の相者(さうじや)は我を見て今日(けふ)し語(かた)らく、
汝(な)が眉目(まみ)ぞこは兆(さが)惡(あ)しく日曇(ひなぐも)る、
心弱くも人を戀ふおもひの空の
雲、疾風(はやち)、襲(おそ)はぬさきに遁(のが)れよと。
噫(ああ)遁(のが)れよと、嫋(たを)やげる君がほとりを、
緑牧(みどりまき)、草野(くさの)の原のうねりより
なほ柔かき黒髮の綰(わがね)の波を、――
こを如何(いか)に君は聞き判(わ)きたまふらむ。
眼をし閉(とづ)れば打續く沙(いさご)のはてを
黄昏(たそがれ)に頸垂(うなだ)れてゆくもののかげ、
飢ゑてさまよふ獸(けもの)かととがめたまはめ、
その影ぞ君を遁れてゆける身の
乾ける旅に一色(ひといろ)の物憂き姿、――
よしさらば、香(にほひ)の渦輪(うづわ)、彩(あや)の嵐に。
(「文章世界」明治40年6月発表)
月しろ
淀(よど)み流れぬわが胸に憂(うれ)ひ惱みの
浮藻(うきも)こそひろごりわたれ黝(くろ)ずみて、
いつもいぶせき黄昏(たそがれ)の影をやどせる
池水(いけみづ)に映るは暗き古宮(ふるみや)か。
石の階(きざはし)頽(くづ)れ落ち、水際(みぎは)に寂びぬ、
沈みたる快樂(けらく)を誰かまた讃(ほ)めむ、
かつてたどりし佳人(よきひと)の足(あ)の音(と)の歌を
その石になほ慕ひ寄る水の夢。
花の思ひをさながらの祷(いのり)の言葉、
額(ぬか)づきし面(おも)わのかげの滅(き)えがてに
この世ならざる縁(えにし)こそ不思議のちから、
追憶(おもひで)の遠き昔のみ空より
池のこころに懷かしき名殘(なごり)の光、
月しろぞ今もをりをり浮びただよふ。
(「文庫」明治40年6月発表・初出題名「月魂(つきしろ)」)
茉莉花
咽(むせ)び嘆かふわが胸の曇り物憂き
紗(しや)の帳(とばり)しなめきかかげ、かがやかに、
或日は映(うつ)る君が面(おも)、媚(こび)の野にさく
阿芙蓉(あふよう)の萎ぬえ嬌なまめけるその匂ひ。
魂(たま)をも蕩(た)らす私語(ささめき)に誘はれつつも、
われはまた君を擁(いだ)きて泣くなめり、
極祕の愁、夢のわな、――君が腕(かひな)に、
痛ましきわがただむきはとらはれぬ。
また或宵は君見えず、生絹(すずし)の衣(きぬ)の
衣(きぬ)ずれの音のさやさやすずろかに
ただ傳ふのみ、わが心この時裂けつ、
茉莉花(まつりくわ)の夜(よる)の一室(ひとま)の香(か)のかげに
まじれる君が微笑(ほほゑみ)はわがの痍(きず)を
もとめ來て沁(し)みて薫(かを)りぬ、貴(あて)にしみらに。
(「新思潮」明治40年10月発表)
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蒲原 有明(かんばら ありあけ・明治8年=1875年3月15日生~昭和27年=1952年2月3日没)は、東京麹町(現在の千代田区)生まれの日本の詩人。本名、隼雄(はやお)。イギリスのロマン派詩人D・G・ロセッティに傾倒し、複雑な語彙やリズムを駆使した象徴派詩人として明治30年代の新体詩(文語自由詩)の代表的な詩人となり、第1詩集『草わかば』1902(明治35年)、第2詩集『獨弦哀歌』1903(明治36年)、第3詩集『春鳥集』1905(明治38年)の3詩集は森鴎外の激賞を受けました。ですが最大の達成を示した第4詩集『有明集』1908(明治41年)は技巧の難解さから、口語自由詩運動に移っていた当時の新進詩人たちから一斉に批判され、私生活の問題もあって作品発表は激減してしまいます。改訂版全詩集に新作詩集を加えた『有明詩集』1922(大正11年)以降は旧作の改作に没頭し、改訂版選詩集『有明詩抄』1928(昭和3年)、『蒲原有明詩集』1935(昭和10年)、『定本春鳥集』1947(昭和22年)、『有明全詩抄』1950(昭和25年)に至るまで自作の改作を続けました。1952年(昭和27年)に『有明詩集』以来初めて全詩集の初版内容を復刻した『蒲原有明全詩集』の刊行を許可しましたが、同年、同書の校了前に77歳で逝去しました。萩原朔太郎が終生、有明を明治最高の革新的詩人としてその後継者を自負していたことでも知られています。
今回は『有明集』全48編・訳詩4編から、詩集巻頭の連作ソネット(14行詩)「豹の血」8篇中、傑作と名高い3篇をご紹介しました。テキストは後年の改稿によらず、『有明集』初版によりました。非常に難解な印象を受けるかもしれませんが「智慧の相者は我を見て」は幻覚下での自問自答の詩、「月しろ」と「茉莉花」は恋愛詩、特に「茉莉花」は今で言う風俗店通いを詠った詩です。この店が阿片窟を兼ねていたことも暗示されており、熱愛する芸妓との薄情で刹那的な愛を頽廃的に格調高い文語詩に詠い上げたアクロバット的な技巧の詩で、文語詩ならではの音韻の豊かさ、余韻の深さでは明治の文語現代詩の究極に達したものでした。「月しろ」の第2連の2行、「石の階(きざはし)頽(くづ)れ落ち、水際(みぎは)に寂びぬ、/沈みたる快樂(けらく)を誰かまた讃(ほ)めむ、」の、「i」音の連続によって凄まじい崩壊感を示す重韻は天才の言語感覚です。この完成度の高さをつき崩すように有明の次の世代の詩人からは口語自由詩の運動が始まったので、有明の詩は日本語実験の究極の達成とともに時代から見捨てられたのです。そうした意味で有明の詩集、特に『春鳥集』と『有明集』は空前絶後の位置を日本の現代詩の中に占めています。