人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

娘たち(1)

里帰り出産だったから妻と長女を迎えにいったのは3ヶ月になった頃になる。あかちゃんてバンザイして寝るんだな、しかも毎日新しくからだを動かすことを自分で発見する。両手をあわせる。腕を組み合わせる。指を組み合わせる。表情が多彩になる。オルゴールの音楽にうっとりする。
とてもいい匂いだった。眠った長女の髪を嗅ぐとこれほど愛しい薫りはなかった。おしめ替え、ミルクやり、おふろ、寝かしつけもみんなぼくがやった(妻は5分で眠る女だった)。
外出時に抱くのもぼくの役目だった。身長150センチの小柄な妻と170センチのぼくなら抱っこ紐で抱くのはぼくの役目だ。ぼくは長女が理解できようとできまいと話かけながら歩いた。歌にはよく反応した。ぼくが「クウガ~」と歌うと「クウガじゃない」「そうめん~」「そうめんじゃない」「ワンワン~」「ワンワンじゃない」そんな調子だ。言葉に詰まるととても悔しそうな顏をする。
長女は1歳の誕生日にはつかまり立ちもでき「あたー」「くかみんご」「ふかみんな」などなどの謎語を覚え、3歳まではおしゃぶり(ポチョポチョ、と彼女は呼んでいた)を就寝前に必要としていたが、ある日突然「もうポチョポチョはいらない」。妻は次女を懐妊中だった。
その頃初めて自分ひとりで夜中のトイレに行けるようになった。妻が「ママも一緒に行くよ」と起き上がると、パジャマの胸のくまのアップリケに手を当てて「くまちゃんが一緒だから大丈夫」長女が戻るまでの間、妻はずっとぼくに抱きついて泣いていた。「あなたも聞いたでしょ?」「うん、聞いたよ。戻ってきたら褒めてあげよう。その後おれもトイレに行って確認してくるよ」
トイレはきれいだった。長女は6ヶ月から保育園だから公共マナーに忠実でトイレット・ペーパーも「1までね」なのだ。
次女の出産に近づくにつれ長女の期待感も膨らみ、園児仲間や先生に「あかねちゃんのお腹にあかちゃんがいるのよ。もうすぐ産まれるの」と誇らしげに話していた。3歳女児は母と自分を同一視してしまうのだろうか?