次女の誕生日ついでに長女に触れないのは不公平だろう。誕生日は1998年9月1日。写真は2004年10月撮影のプリクラで、ぼくの手元にある唯一の娘たちの写真。振り袖の写真は婚約中の妻で、友人の結婚式での一枚。ぼくたちは33歳と31歳の晩婚だった。
里帰り出産の妻と長女を迎えに行ったのは3ヶ月目。赤ちゃんてバンザイして寝るんだな、しかも毎日新しいことを発見する。両手を合せる。腕を組み合わせる。指を組み合わせる。表情が多彩になる。オルゴールの音色にうっとりする。
とてもいい匂いだった。長女の髪を嗅ぐとこんなに愛しい薫りはなかった。おしめ替え、ミルクやり、おふろ、寝かしつけもみんなぼくがやった(妻は5分で眠る女だった)。
外出時に抱くのもぼくの役目だった。身長150センチの小柄な妻と170センチのぼくなら抱っこ紐もぼくの役目だ。ぼくは長女が理解できようとできまいと話かけながら歩いた。歌にはよく反応した。ぼくが「ちょうちょ~」と歌うと「ちょうちょじゃない」「そうめん~」「そうめんじゃない」「ワンワン~」「ワンワンじゃない」そんな調子。言葉に詰まるととても悔しそうな顏をした。
長女は1歳の誕生日にはつかまり立ちもでき「あたー」「くかみんご」「ふかみんな」などの謎語を覚え、3歳まではおしゃぶり(ポチョポチョ、と本人は呼んでいた)が就寝前に必要だったが、ある晩突然「もうポチョポチョいらない」と言った。妻は次女を懐妊中だった。
その頃初めて自分だけで夜中のトイレに行けるようになった。妻が「ママも行くよ」と起き上がると、パジャマの胸のくまのアップリケに手を当てて「くまちゃんが一緒だから大丈夫」長女が戻るまでの間、妻はずっと感動して泣いていた。「あなたも聞いたでしょ?」「うん、聞いたよ。戻ったら褒めてあげよう。後でおれも確認してくる」
トイレはきれいだった。長女は6ヶ月から保育園だから、とてもトイレをきれいに使うのだ。
次女の出産に近づくにつれ長女の期待感も膨らみ、園児仲間や先生に「お腹に赤ちゃんがいるのよ。もうすぐ生れるの」と誇らしげに話していた。3歳女児は母と自分を同一視してしまうのだろうか?決してパパではないのだ。
そして今では法的には他人でしかない。思い出しかない。次女の誕生日の晩も、今年は電話はしなかった。