今回も石原吉郎を。この人は24歳で応召され、敗戦をソヴィエトで迎えてシベリアで8年間の強制労働を送った、いわゆる抑留兵。初期作品はその経歴を知らないとやや難解だが、中期以降は題材も広がってくる。「相対」を引く。
おのおのうなずきあった
それぞれのひだりへ
切先を押しあてた
おんなの胸は厚く
おとこは早く果てた
その手を取っておんなは
一と刻あとに刺したがえた
ひと時刻の そのすれちがいが
そのままに
双つの世界へふたりを向かわせた
もう一篇、今度はとぼけた作品を。「世界がほろびる日に」。
世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ
石原吉郎は没後あまり顧みられないが、吉岡実(1990年没)の評価は高まるばかり。詩集「僧侶」(1958年)標題作の冒頭と第6連、最終連を引こう。
四人の僧侶
庭園をそぞろ歩き
ときに黒い布を巻き上げる
棒の形
憎しみもなしに
若い女を叩く
こうもりが叫ぶまで
一人は食事をつくる
一人は罪人を探しにゆく
一人は自涜
一人は女に殺される
四人の僧侶
井戸のまわりにかがむ
洗濯物は山羊の陰嚢
洗いきれぬ月経帯
三人がかりでしぼりだす
気球の大きさのシーツ
死んだ一人がかついで干しにゆく
雨のなかの塔の上に
四人の僧侶
固い胸当のとりでを出る
生涯収穫がないので
世界より一段高い所で
首をつり共に嘲う
されば
四人の骨は冬の木の太さのまま
縄のきれる時代まで死んでいる
吉岡実も従軍でデビューは遅く(石原吉郎ほどではないが)一世代若い詩人たちと並ぶことになった。飯島耕一「他人の空」(1953)。
鳥たちが帰って来た。
地の黒い割れ目をついばんだ。
見慣れない屋根の上を
上がったり下がったりした。
それは途方に暮れているように見えた。
空は石を食ったように頭をかかえている。
物思いにふけっている。
もう流れ出すこともなかったので、
血は空に
他人のようにめぐっている。