人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

警句と皮肉(1)

内容は忘れたのに警句じみた一節で印象深い本が結構ある。詩は別格だがなぜか批評より小説が多いのは批評自体警句みたいなものだからだろう。ドイツ系はロジック重視で楽しめないが、どこか不真面目なフランス、度を越して現実的なイギリスでは哲学も冗談すれすれのところがある。

たとえば数年来ぼくは何人もの知人を精神科送りや生活保護受給者にしてきた。これだけ言うと極悪人みたいだが実際は個人的相談にぼくの経験から助言しただけだ。ぼくの時は助言者はなく、たどり着くまでの試行錯誤はとてもキツかった。
心身の病気や経済上の窮地に陷っている知人たちだったので親身に助言した。幸いみんな潤滑にことが運んだ。報告のメールを受けながら、決断は本人たちとはいえ、ぼくの果たした役割にはブラック・ユーモアを感じた。

精神障害者生活保護受給者のぼくは労働と納税という国民の義務からも基本的には除外されている。場合によっては順法すらも免責される。福祉制度と福祉医療のモデル(テスト)ケースとして保護されている。これはあくまでもぼく個人の事情で、ぼくと同じ生活環境の人はすべてそうだと言うのではない。
拘置所入獄中から再就職の失敗と精神疾患の発症には予感があって、出所した晩は実家に1泊したが翌日には即入居を条件に一人暮らしを始めた。市役所に転居届を出し、住基カードを取得し、保険証を書き替え、福祉課で生活保護の相談をしている。なりふり構う余地はない。そんなものは拘置所の運動場の砂場に埋めてきた。

前置きから本題になかなか移れず、いつ本題に入るんだ、やっとかなと思うと時間切れ。これは文筆家も噺家もよく使う手口だ。そこで警句「すべての詩人は狂人だが、狂人のすべてが詩人ではない」出典不詳。記憶に残るというのが条件なので、引用は調べ直さず記憶に頼りたい。
「悪人でも人間には違いないのだから、ヘボ詩人でも詩人には違いない」これはG・K・チェスタートンの「新ナポレオン奇譚」から。それから「危機を経験した人間は信頼できるが、危機が多すぎるのも問題である」たぶんイギリス人だ、この現実性は。
三島由紀夫仮面の告白」からは慎重を期して本文参観。フランス作家からの孫引き。「…女が力をもつのは、ただその恋人を罰し得る不幸の度合によってだけである」
だからってどうすればいいのだろう?