これまたいい加減なことに、消滅した会社の社員は半数がそのまま大手へ、残り半数が他社へ、というのも自然の流れだった。
版下製作所やカメラマン、レイアウターなどを通して他社に紹介してもらった人たちもなかなか意欲的だったし、大手へ吸収されてもそちらでも独立した編集部に区分されたのだから給与形態が替わっただけともいえる。
ぼくは?
ぼくは仕事を辞めてぶらぶらしていた。お金に詰って、経験者だからと小出版社(編集プロダクション)をいくつかあたったが、それまでいた会社よりもさらに劣悪な環境なのは同業者のよしみですぐわかった。
そうこうしているうちに、あちこちに散ったかつての同僚たちから文章やデザインの依頼がくるようになった。ライターやレイアウターは雑誌数が今の数倍あった当時絶対数が少なかった。そこで佐伯いま何してんだろう、ということになり、連絡網がまわって、自分から看板を掲げたわけでもないのにフリーライター1名が開業した。
再び前の会社の話。
10人で月刊誌5誌をどうやって編集制作していたかというと、1誌あたり編集長1名アシスタント1名の2名態勢でいく。月刊誌は正味3週間で制作可能だし、アシスタントも使い回す。建前上はそうやって協力的にやっていくことになっていた。冗談じゃない。ぼくは自分の担当誌をほとんどひとりで造りながら、正社員なりたての下っぱとして他のぜんぶの雑誌のアシスタントもしたのだ。しかも自分から進んで、だ。なぜ?
ぼくは有能で、しかも貧欲だったからだ。ライターやレイアウターを手配するよりも自分でやる方が早い(ただしクオリティの面で重用な企画はライターやレイアウターを使う)ものは自分で記事を書き、デザインする。他誌にも自分の企画を使ってもらう等々まさか会社の消滅で終るとは思わなかったが、仕事を覚えこむ機会は逃さなかった。
将来のことを考えて学んでいたのではない。雑誌編集の仕事はそれまでのアルバイトのどれよりも面白かった。だからぼくはこの仕事に就いているうちになにもかも知って、覚えてしまいたかったのだ。
それならなぜ大手に吸収されたらあっさり辞め、同僚だった連中から依頼が来れば引き受けたか?言っていることにもやっていることにもあまりに一貫性がなくはないか?
一貫性はある。ぼくは業界の裏側を見た上でフリーライターになった。