人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

高村光太郎の女性観

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**さんこんにちは。高村光太郎の戦後生活はその通りですが、それは詩人の中で完結しているモラルでしかないのではないか、という指摘が、自己形成史と自己批判の詩集「典型」1950の発表時からありました。老齢にして大変苛酷な隠遁(本人の表現では「自己流嫡」)を送った訳ですが、高村は共産党による戦犯リストの筆頭詩人であり、現実に多くの公職追放・執筆禁止が文筆家たちに行われた中で、彼は自らを人格証明することですり抜けたのです。この発想は高村の詩において初期から見られるのではないか、という問題に発展していきます。
では女性を詠うとどうなるか?『母をおもう』

夜中に目をさましてかじりついた
あのむっとするふところの中のお乳。

「お父さんとお母さんとどっちが好き」と
夕暮れの背中の上でよくきかれたあの路次口

鑿で怪我をしたおれのうしろから
切火をうって学校へ出してくれたあの朝。

酔しれて帰って来たアトリエに
金釘流のあの手紙が待っていた巴里の一夜。

立身出世しないおれをいつまでも信じきり、
自分の一生の望もすてたあの凹んだ眼。

やっとおれのうちの上り段をあがり、
おれの太い腕に抱かれたがったあの小さなからだ。

そうして今死のうという時の
あの思いがけない権威ある変貌。

母を思い出すとおれは愚にかえり、
人生の底がぬけて
怖いものがなくなる。
どんな事があろうともみんな
死んだ母が知ってるような気がする。
(「猛獣篇時代」より)

続いて、夫人の死の直後に書かれた『レモン哀歌』に並ぶ絶唱『あなたはだんだんきれいになる』

おんなが附属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗われたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属。
見栄も外聞もてんで歯のたたない
中身ばかりの清冽な生きものが
生きて動いてさっさと意欲する。
おんながおんなを取りもどすのは
こうした世紀の修業によるのか。
あなたが黙って立っていると
まことに神の造りしものだ。
時々内心おどろくほど
あなたはだんだんきれいになる。
(「智恵子抄」より)

ここには母や妻を過剰に神聖化する詩人がいます。問題はそこです。