人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

小熊秀雄『約束もしないのに』

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 小熊秀雄の最高の詩は「小熊秀雄詩集」「飛ぶ橇」(ともに1935)の2冊の詩集にある、だが晩年の衰弱した詩にも捨てがたい魅力がある、という小熊秀雄評価もあるだろう。ドアーズの傑作は最初の2作のアルバム「ハートに火をつけて」「まぼろしの世界」(ともに1967)だが、ジム・モリソンの遺作になった「L.Aウーマン」1971が思いがけない佳作になったのを連想させる。紹介済みの一篇『黒い洋傘』はドアーズでいえば『ライダーズ・オン・ザ・ストーム』だろう。洋傘の中の詩人、嵐の中のバンド。明らかに発想の類似がある。今回取り上げる一篇などは『黒い洋傘』よりさらに衰弱している。だが、他の詩人ならこうした場合私小説的な境涯詩になるところを、小熊は個人的な感傷には陥らない。『約束もしないのに』、タイトルはそのまま詩の第一行になっている。

『約束もしないのに』 小熊 秀雄

冬がやってきた
だが木炭がない練炭がないで
市民はみんな寒がっている
でもあきらめよう
とにかくこうして
季節がくると冬がやってきてくれたのだから、
僕の郷里ではもっと寒い
冬には雄鶏のトサカが寒さで
こごえて無くなってしまうこともあるのだ
それでも奴は春がやってくると
大きな声で歌うことを忘れないのだから
勇気を出せよ、
雄鶏よ、私の可愛いインキ壺よ、
ひねくれた隣の女中よ
そこいら辺りのすべての人間よ、
約束しないのに
すべてがやってくるということもあるのだから
なんてすばらしいことだ
約束しないのに
思いがけないことが
やってくるということがあると
いうことを信じよう。
 (「流民詩集」執筆1940より)

 これが戦時下に、検閲を逃れながら希望を詠うぎりぎりの内容だったと思うと痛ましい。
 小熊はいつも民衆のひとりとして詠ってきたが、小熊晩年の5年間は民衆までもがファッショ化していく過程だった。抵抗詩人たらんとすれば、民衆詩人では折りあいがつかなくなる。
 萩原恭次郎と前後して戦争の激化の前に亡くなったのは日本の詩にとって大きな喪失だが、もし健在であったとしても詩はますます暗く、内向的になっていっただろう。小熊は間違った土地に生えてしまった一本の大樹だったのかもしれない。