人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(1)詩人氷見敦子・立中潤

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 詩人・立中潤(1952-1975)と氷見敦子(1955-1985)を並べると、わずか3年の生れ年の違いで一方は60年代以前の詩の思潮を引きずった70年代詩人、一方は戦後詩を振り切った新しい現代詩から出発している、との感が強い。立中は日本の敗戦後の現代詩に最後に登場した「呪われた新人」であり、その作品には未来がなかった。
 他方、荒川洋治によって一気に刷新され、荒川の推輓によって注目された井坂洋子伊藤比呂美ら70年代末デヴューの女性詩人たちは確かに新しかった。氷見敦子もその流れのなかでデヴューした詩人であり、立中潤までの世代がどうしても背負っていた詩と政治思想の相剋、(敗)戦後詩全体に漂う敗北感を荒川が一掃した土壌から再出発した「現代詩」だった。荒川は1949年生れ、文学的功績は同年生れの村上春樹と比較し得る存在といえる。

 第一詩集の巻頭作品はその詩人にとっての第一声だから、立中・氷見、両者の作品を引用してみたい。

『彼岸』 立中 潤
目蓋にかかってくる幾匹もの蝶の死骸
はじき出されてしまった世界を
盲目で見つめて
深く倒れ 衰弱の意味を生かしめようと
背負う萎縮した核のようなもの
泳ぐ金魚の視線の鋭角に屈折する地点で
巨大な爆発音をとりこむ
その片側で素直な魚達
が鰭を揺らしてねじれていた
(…)
 (立中潤詩集「彼岸」1974より)

『水幻』 氷見 敦子
椰子の並木をこえると
月がりんと冷える
葉影から海はながれ
胸のすく思いで
私は半島に立つ
身をひるがえすたびに
闇にはじけて
白刃が波間にきらめく

苦痛に似た仕草だから
あなたには問うまい
瞼のふちから
光を振りはらい
息をころすと
またひとつ 私の網膜から
町が姿を消す

波におされながら
深く海にそって降りてゆくと
水子の群が私をのみ
あなたをのみほす
肩のあたりで
音をたてて波がわれる

歳月を重ねて
海へ還っていく
遠い確かな歩みで
満ちては枯れる
夢の果てに近づく

ぶあつい掌のなかで
砕けた骨の匂いがした
 (氷見敦子詩集「石垣のある風景」1980より)

 立中は22歳、氷見は25歳の第一詩集。刊行年は6年の開きがある。わずか6年で時代は変ったのだ。