人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(再録/2) 江戸川乱歩の功績と大罪

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前回の記事では江戸川乱歩(1894-1965)の功績と大罪についてまとめから入っていきました。
「乱歩が亡くなった時、関係者だれもが胸を撫で下ろした、と書いたのは乱歩の抜擢で探偵小説出版社「宝石社」から「日本版ヒッチコック・マガジン」編集長に就任した小林信彦氏です。乱歩にとって自分がデビューした戦前の博文館刊行の月刊誌「新青年」に替わるものは、戦後では宝石社刊行の月刊誌「宝石」でした。
スター作家を越えてひとつのブランドになった乱歩は「宝石」はもちろん他社の雑誌や出版にも口をはさみ、早川書房のポケット・ミステリ・シリーズも当初は「江戸川乱歩監修」でした。「日本版エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の創刊号(1956年)の巻頭作品、カーター・ディクスン「魔の森の家」は乱歩の翻訳が目玉でしたが、目次と扉の記載を見て「おれより若くて後輩の作家より名前の活字が小さいのはおかしい」と文句をつけたのは知る人ぞ知る話です。それ以来、原著者と翻訳者を同じ大きさで並記するのが日本では慣習になりました、
乱歩は常に読者の目を意識していました。それはイメージ作りにも現れていて、有名な「土蔵が書斎」というのは明らかに耽美派小説家・宇野浩二の「寝床で執筆」にインスパイアされたものです。
乱歩の作品は小説としての完成度において当時の探偵小説界では抜群で、さらに都会小説としてのダークな魅力を湛えていました。これはほぼ同時期アメリカの推理小説ヴァン・ダインが刷新した方法と似ています。乱歩同様筋金入りの推理小説マニアでディレッタント、売れない美術批評家だったヴァン・ダインは病気療養中に入手可能な推理小説を数千冊読破し「おれならもっと上手く書ける」と処女作を書き上げ、刊行まもなく国際的なベストセラーになりました。
都会小説としての探偵小説は始祖E.A.ポオにも見られますが、短篇シリーズとして確立したのはコナン・ドイルシャーロック・ホームズになります。職業探偵が暴く都会の闇。それがミステリ小説の基本で、原点なのです。
ホームズ・シリーズの真の魅力を見抜いてニューヨークや東京に生かしたのがこのふたりといえるでしょう。今や都市小説としての探偵小説というのが当たり前になっていますが、それもドイル、乱歩、ヴァン・ダインといった先人あってこそなのです。(7月26日初稿)