人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アガサ・クリスティーの隠れた傑作(後)

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アガサ・クリスティーの素晴らしさは、小説が上手いところだ。作家なら当然だろうと思うとさにあらず、推理小説専業作家はおおむね小説は下手で、イギリスではクリスティー(1920年デビュー)、アメリカではヴァン・ダイン(1926年デビュー)によってようやく長編推理小説の水準が引き上げられた。それまで長編推理の名作というと主流文学本業の作家が余技で書いたものがほとんどで、推理作家で優れた長編を書ける力量のある人材など皆無と言ってよかった。

クリスティーヴァン・ダインがベストセラー作家になったことで長編推理小説の商業的価値が見直され、フォロワーとしてデビューしたのがフィリップ・マクドナルドやドロシー・セイヤーズ(英)、エラリー・クイーンやJ.D.カー(米)だった。このうちアメリカ作家の二人は派手な作風で日本での人気も高いが、初期の作品ではやたらと首なし死体を出すなどヴァン・ダインより退行している。彼らが洗練された作風に達するのには10年かかった。ヴァン・ダイン推理小説を都市小説として把握した最初の人だった。

イギリスの二人は日本では近年ようやく正当な評価がされるようになった。マクドナルドは通好みだがセイヤーズは欧米では以前からクリスティーと並び称されてきた。クリスティーに匹敵する小説の達人なのが90年代にやっと理解されるようになったのだ。
クリスティージェーン・オースティンから始まるイギリス家庭小説の伝統に属するなら、セイヤーズはE.M.フォスター以降のイギリス小説のモダニズムに立脚している。その新しさが90年代までの日本ではわからなかった。これは社会構造の変化が大きく関係していると思われる。

筆者が「隠れた傑作」として上げた三作(前回参照)もセイヤーズ的な意味でクリスティーモダニズムへの挑戦が感じられる。
「ひらいたトランプ」は登場人物8人中4人はポアロ本人が立ち会い完璧なアリバイがあるから、容疑者は別室でブリッジをしていた4人しかいない。
「愛国殺人」は全く動機も関連性もなさそうな殺人が三件起る。ポアロは小説の中盤で早くも真相にたどり着くが、犯人を告発する手段がない。
「五匹の子豚」は過去の殺人を五人の関係者の証言から解明するが、最後までポアロが見抜けなかった謎が明らかになって終わる。
いずれも実験意欲に富む。大作家たる所以だろう。