人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

続(1)・江戸川乱歩の功績と大罪

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乱歩のイメージ戦略は近年で言えば松任谷由実矢沢永吉といったポピュラー歌手を思わせるもので、これは成長期にあった日本のモダニズム=都市志向と踵をあわせたものでした。これも前回比較したヴァン・ダインと同様です。
ヴァン・ダインはニューヨークのブルジョワ階級を暴露的に犯罪の舞台にして、アメリカ全土の田舎の読者を楽しませました。乱歩が東京でも神楽坂や四ツ谷などやや古風な地域を選んだのは、その辺に出版社があったからでもありますが、江戸からの連続性を残した風情とともに、地方出身者が住みやすい町だったからです。初期作品の明智小五郎は実家の仕送りで神楽坂の下宿に特に将来のあてもなくゴロゴロしているモラトリアム青年です。そういう青年が日本で初めて生まれたのがこの時代です。
初期の代表作をひと通り発表し、短い休筆期間から中期の代表作となる「陰獣」でカムバックした時、「新青年」誌のキャッチコピーは「あの懐かしの江戸川乱歩が帰って来た!」というものでした。まだデビューから5年なのにどれだけ大きな存在感を示していたか物語るエピソードとしてよく語られる「乱歩伝説」のひとつです。「新青年」誌は明智小五郎になりたい読者の愛読誌でした。
後年、探偵小説作家で正五位・勲三等の受勲者になったのも乱歩というブランドが個人を越えてジャンル全体の元締めになったからでしょう。それは探偵小説というモラトリアムを容認するジャンル自体が日本の現実に叶うものと認められたからです。
しかし一見順風満帆な乱歩でも時代の先を行きすぎず、取り残されもせず、というのはいつも微妙な世渡りでした。乱歩自身はヨーロッパ19世紀末のデカダンス(退廃)文学に対応する日本の耽美派文学(永井荷風谷崎潤一郎佐藤春夫芥川龍之介宇野浩二ら)の系譜にある作家でしたが、文学者である前に大衆小説作家として探偵小説を日本に根付かせたい、というのが宿願だったのです。
おそらく乱歩のキャリアのなかで最大のライヴァルは夢野久作(1926=大正15年「あやかしの鼓」)と松本清張(1958=昭和33年「点と線」)だったでしょう。夢野・松本の時代の差を考えると乱歩のキャリアはいかに長いものだったかが痛感されます。
次回で詳述しますが、乱歩は結局夢野にも松本にも勝てませんでした。そこで乱歩はどうしたか?続きをお楽しみに。