コミュニズムの詩人・菅原克己(1911-1988・宮城県生まれ)はまた社会的弱者への愛の詩人でもあった。前回ご紹介した代表作『ブラザー軒』からも感じられるように、特に子供と病者と老女と死者にそそぐ視線は優しい。名作ぞろいの第二詩集1958から3篇をご紹介する。
『やさしい友だち
-小児麻痺の娘に-』
蕨のような手。
自分の足につまずく足。
ほほえみをとり出せない唇。
-人は意識しない、
裂けてゆく萎えた枝に。
ふかい眠りのなかでそれは叫ぶ、
ふいに目がひろがるように。
空間に飛び散るものを
娘はけんめいに心にくくりつけた。
その紙片は鉛筆の匂いがした。
光がそり返るように
たったひとり
空気の底におかれた「からだ」。
『小さい歯
-U幼稚園で-』
小さい歯がよく光った。
風も光った。
ぼくはすぐわかる、
声々をちらばせながら
やさしい時が通ってゆくのを。
駆け出してはすぐもどる。
小さい股が空気を打つ。
蒼い影がまわりをひたす。
小魚たちがひらひらしながら
その光を刺してゆく
抵抗のない水のように。
『光善寺通りのめくらの叔母さん』
光善寺通りのめくらの叔母さん。
死んだ叔母さん。
(痩せて、白くて、目が大きかった)
叔母さんはぼくに話した。
この世の美しいものを。
その色とかたちを、
自分で自分に答えながら。
-青い、といえば
菖蒲田浜の目いっぱいの青さ。
娘たちのカシミヤの袴。
-赤い、といえば
掌のなかの炭火の火照り。
二番丁の家の百日紅のくれない。
すべては考えのなかにしかない
「もの」を浮べること、
黒い幕のような目のなかから。
光善寺通りのめくらの叔母さん。
死んだ叔母さん。
その聞きたいものはぼくに残り、
(海も残った、火も残った)
ぼくの暗がりのなかから
輝くものをしきりに探す。
(以上詩集「日の底」より)
『ブラザー軒』ほど決定的ではないが、ドライな表現がこれらの詩を感傷に陥らないものにしている。プロレタリア(労働者階級)詩にありがちの社会への直接的抗議もないが、戦後にようやく到達した民衆詩の最良のものが、菅原克己や石垣りんには認められる。