人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

続(2)・江戸川乱歩の功績と大罪

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 乱歩の記事にジャズのアルバム・ジャケットを掲載したのは理由がある。人気バリトン・サックス奏者ジェリー・マリガンビートルズやディランの曲を取り上げた作品で、タイトルは「イフ・ユー・キャント・ビート・ゼム、ジョイン・ゼム」(「勝ち目がないなら、日和っちゃおうぜ」)、やれやれ、といったポーズのイラストが洒落ている。これが今回のテーマを凝縮している。

 前回の終りで「乱歩の長いキャリアに現れた最大のライヴァルは夢野久作松本清張…そしてどちらにも負けた。さて、乱歩はどうしたか?」と予告した。プライドの高い乱歩だから正面から敗けを認めはしなかったが、夢野の時も松本の時も衆目には早くも勝敗はあきらかだった。そして乱歩はどうしたか?
 大物の敗けかたをした。早い話が日和ったのである。夢野の時にはまだ乱歩も大御所とはいえ若かったから、この北九州の新聞記者に脅威と対抗意識を燃やした。乱歩が得意な都会の猟奇犯罪は東京に限定せず地方都市でも描くことができ、さらに地方文化を基板にすることで、乱歩作品では描けない土着性や文学性をたやすく達成していた。
 1926年の懸賞小説で「新青年」誌に応募されてきた作品のなかでも、審査員をつとめる6人の作家・編集者のうち5人が文句なしに夢野作品「あやかしの鼓」を当選作に選んだが、乱歩の強硬な反対があって正式な受賞作にはならなかった。資料集「夢野久作の世界」(沖積舎)を見ると、乱歩の選評はほとんど「あやかしの鼓」批判なのが異様な印象すら与える。
 全国区の作家になった夢野はぐんぐん活躍の場を広げていった。ライフワーク「ドグラ・マグラ」を仕上げて亡くなるまで余命は10年ほどなのだが、質・量ともに乱歩とは埋蔵量が違う。乱歩は努力型の人だったのが比較の上でわかる。次々刊行される夢野の新作短篇集を、もはや乱歩はこき下ろしたりはしなかった。
 乱歩と夢野の対決は三つの事件が数えられる。一つめはデビュー時の妨害に近い酷評。二つ目は「新青年」1929年新年号で、乱歩の自信作「挿絵と旅する男」と夢野の「挿絵の奇蹟」がバッティングしてしまい、乱歩が自分から下りて2月号廻しにしてもらい、あわせて前号の夢野作品を絶讚するエッセイを載せた。「あやかし~」酷評からまだ2年半である。乱歩って大人。やり口が抜け目ない。
 第三の事件は…以下次回で。