人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

清貧という病(コラージュ)

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●むかし読んで印象に残った逸話に、貧富の定義をめぐるフィッツジェラルドヘミングウェイの会話がある。第一次世界大戦後の新人としてデビューし、友人となった彼らはその実ずいぶん資質が異なっていた。同じく「ロスト・ジェネレーション」の作家と目されるフォークナー、ドス・パソスも併せると、共通点といえば英仏の新しい文学運動をいち早く反映し、さらに独自の発展を見せたことで、作風としては一人一派といってよい。

●「金持ちと貧乏人に違いはないはずだけど」
フィッツジェラルドヘミングウェイに言った、「やっぱり違うんだね、金持ちっていうのは」
ヘミングウェイはあきれた顔をして、
「そうさ。金持ちはおれたちより金を持ってる」

●「グレート・ギャツビー」の作家と「日はまた昇る」の作家の違いをこの会話から論じた批評は多い。ロマン主義者のフィッツジェラルドの方がリアリストで、実存主義者のヘミングウェイの方がイデオロジストという対照から、当初はヘミングウェイの方が、のちにはフィッツジェラルドの方が視野の広さ・視点の深さを評価されることになった。だかどちらが真実を突いているかというと…
どちらでも同じことだ。

●写真(上)クリスマス近づく。スーパーマーケットではレジの女性はサンタクロースの衣裳。

●写真(中)だいたいこういったものを主食に、ご飯と味噌汁で三食を済ましている。

●写真(下)ぼくは母を高校生の時に亡くした。享年44歳、パート先の忘年会で飲めないお酒を飲まされ脳梗塞を起こし急逝した。命日は12月30日。ぼくは成長期の栄養失調で爪が湾曲している。整形外科にも診てもらったが、一旦こうなってしまったら健康な状態の爪には戻せないそうだ。
ぼくの娘たちは実の祖母の顔を写真ですら知らない。

萩原朔太郎にこんな詩句がある。
「私は貧乏を見たのです/このびたびたする雨気の中に/ずっくり濡れたる 孤独の 非常に厭らしいものを見たのです」
(詩集「青猫」1923より、『厭らしい景物』)

●「昨日よりひとつずつできるようになる。回復とはまるで赤ちゃんが育つようですね。ぼくも一昨年、鬱から危篤寸前の緊急入院をした時がそうです。あの時ぼくは救急車を呼ばない選択肢もあった。でも可能性を選んだのです。まだ気の抜けない年の暮れ、くれぐれもご自愛ください」