人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

祝算之介『町医』『詩集しおり』

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この詩集には思い出がある。昭和22年手書き謄写版限定50部の祝算之介詩集「島」より白眉の一篇を引く。

『町医』

夜とともに、町医者はやってきた。家来をつれて。その家来は、たぶん同じ猟好きな仲間ででもあろう。
ちいさな部屋のなかには、黄いろい絵具がべたべたちらかっている。私はどのようにも片ずけきれないのだ。
そのまんなかに、金魚(きんとと)をにぎりつぶしてはなさない子供が、布団にくるまって、欠伸している。まわりの人たちの眼は、いつかぶせようかと、白い布きれを持ちあぐねている。
夜はそこまできた。そして町医は、黒い大きな施療鞄のなかに、子供の生命をたたきこむと、部屋の戸口でささやいた。
《あ、雁だ。雁が飛んでいる》
夜がおんなじことをつぶやいた。家来ははじめからどこにもいなかった。
部屋のなかには、憂愁とかるい安堵がのこされた。人びとは、こごえた指さきを、そっと火鉢の上にかさねて、今夜の霜をかぶった美しい星空のことなど、しずかに語りはじめた。
(一九四六年十一月)

ぼくはこの詩を大学時代、下北沢の老舗古書店でそう高くもない値段で出ていた全詩集「祝算之介詩集」を入手して読んだ。詩人自筆の謄写版の折り込みが入っていた。

「粗末な詩集をお贈りします。おヒマの折にでも読んで頂ければ幸いです。足かけ七年間、入院生活を送っていた二十四才になる長女が『お父さんの詩を読んでみたい』と急に言いだしたのです。私はすぐ揃わないので困っていると『今までのを一冊にしてみたら』と言った翌日、娘はこの世を去りました。私は『一冊の本にしたら』と言った娘の声が耳にこびりついてはなれません。思い切って娘の言うとおりにやってみることにしました。ここにある作品は、戦後、詩をかきだしてから、また娘とともに生きた、この二十数年間の私のすべてです。これを娘が見たら、なんと言うでしょうか。想っても仕方のないことですが、とりあえず一本を霊前に捧げました。すると生前の娘につくしてやれなかったことの悔いで、私はどうにも居たたまれないのです。今はひとりでも多くの人に読んでいただければ、この上ないことと存じます。祝 算之介」

祝はまず語られない詩人だから(だいたい本が手に入らない)こうして紹介するのも…30年近く前に偶然手に入れた人間のつとめみたいなものだろう。