人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ザ・フォーク・クルセダーズ

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 『帰ってきたヨッパライ』で昭和元禄1968年を席巻し、GSブームとともに日本ポップス界の構造まで変えてしまったフォーク・クルセダーズ。2002年の期間限定再結成、2009年秋の加藤和彦逝去までフォークル(と略す)の残した遺産は今なお記憶されるべきものだ。
 フォークルは65年に加藤がメンバーを集めたアマチュア・グループから始まった。当初から人気は高く、大学卒業を控えた解散記念の自主制作アルバム「ハレンチ」1967から『帰ってきたヨッパライ』がラジオ・オンエアで大評判となり、一年間限定でプロ活動する。メジャーからのファースト・アルバム「紀元貮阡年」1968はシングル時代の当時驚異的な25,000枚を売り上げた。

『紀元貮阡年』

人間やって20年
世の中なんて甘いもの
天国地獄くそくらえ
あ~大騒ぎ

神様たちが苦労して
つくった子供が人間さ
おサルさんより偉いはず
あ~大騒ぎ

めでたいな めでたいな
赤飯炊いて祝おうよ
盆と正月一緒に来たよな
あ~めでたいな
 (北山修作詞・加藤和彦作曲)

 二十歳で天下を取った皮肉をそのまま歌う。一方アマチュア時代からのレパートリー『イムジン河』が放送禁止歌となり、サトウ・ハチローに歌詞を委託した名曲がこれだ。

『悲しくてやりきれない』

胸にしみる空のかがやき
今日も遠く眺め涙を流す
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを
誰かに告げようか

白い雲は流れ流れて
今日も夢はもつれ侘しくゆれる
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
この限りないむなしさの
救いはないだろうか

深い森のみどりに抱かれ
今日も風の唄にしみじみ嘆く
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
このもえたぎる苦しさは
明日も続くのか
 (加藤和彦作曲)

 北山修作詞・加藤和彦作曲コンビの清洌な抒情もフォークルの魅力だった。

『花のかおりに』

花のかおりにつつまれて
口づけかわし涙ぐむ
娘が摘んだ白い花
髪に絡ませ別れます
白い花はふるさとの
思い出の花
(…)
嵐の去ったその後に
花は萎れて枯れていた
娘のくれた白い花
愛する人はもういない
白い花はふるさとの
かなしみの花
 (「紀元貮阡年」より)