人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

夜ごと太る女・油そば編(2)

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今回は襟を正してキッチリ油そばについて語りたいと思う。ぼくは売文業で生計を立てていた悪癖かフォルマリズム(形式主義)に魂を売ったところがあって、構成第一内容二の次で書き進めるのが習慣化している。今年になってからで言えば初夢の話なんかそうだ。
大した話術ではない。気のおけない相手とは短い会話で話題が二転三転する。これは雄弁術と言い、ギリシャの古代からこれをやるとニガヨモギの汁で毒殺されたり(ソクラテス)頭だけ出して地中に埋められ首をノコギリで挽かれたりする(パウロ)。桑原桑原。
何の話だ?そう、油そばだ。油そばで連想するのは他殺説が有力な(しかもその話題はタブーになっている)故・伊丹十三で、企画物レコードが流行した昭和46年に料理の教則レコード(!)「みんなでカンツォーネを聴きながらスパゲッティを食べよう」というアルバムを出している。その第一章が「スパゲッティは『炒めうどん』ではない」と言うのだった。2002年初CD化。「レコード・コレクターズ」誌のCD評を抄録する。筆者は安田謙一氏。
「一度も中古盤で拝んだことがない一枚。(…)伊丹が女優の高梨木聖(こみな)を相手にたれるウンチクの嵐。それを真っ向から受けとめ、感心し、喘ぐように笑う高梨嬢。『聞き上手』の上手は『床上手』の上手だと真理に目覚める」
そして「伊丹は生涯、あらゆる意味での『聞き上手』を求めていったのであろう」と結ぶ。さすが、ぼくみたいなちんぴらとはレヴェルが違う。
さて、スパゲッティは「炒めうどん」ではない、と伊丹十三は言った(ちなみにウィキペディアで調べたら小惑星で「伊丹十三」というのがあるそうだ)。では油そばとは何か?ここからは記憶に頼って書く。その方が消費者の実感に近いと思うからだ。
油そばの発祥は東京、1997年頃とテレビで見た覚えがある。チャーシューを作った時に出る油汁を茹でた太麺にからめたものが油そばだ。ぼくは出向先近くのラーメン屋で食べて気に入った。神楽坂にはイケるラーメン屋が多かった。
やがてレトルト生麺タイプのカップ麺も出た。新婚間もない妻は実に嫌な顔をした。「何よそれ?」「油そばっていうんだよ」
妻はロック・バンドの「あぶらだこ」も嫌いだった。「名前だけで聴く気がしないわ」まあそれはいい。
妻は人がおいしく食べていても平気で嫌な顔をする女だった。娘たちにすら。