人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

夜ごと太る女・油そば編(1)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

別れた妻はフィラメントの切れた電球の実物を持って替りの電球を買いにゆく女だった。乾電池もだ。それでも別に困った様子はなく、それが彼女にとっては当たり前だったのだから文句の筋合いはない。ぼくが彼女と結婚したのも多分にそのあたりがいじらしかったというのも否定できない。離婚した今となっては良縁に恵まれるか、早いところ娘たちが成長して単3乾電池と単4乾電池の違いを理解するのを願うばかりだ(してるか、中1と小4なら。でも確定申告書の作成はまだ難しいだろう)。

結婚生活のあいだ妻が不得意なので必ずぼくがやっていたことを数え上げると暗澹とした気持になる。彼女はぼくに「あなたは最低の父親でした」と言った。かわるがわる病気になる娘たちの看病のために、休めない妻の分まで自分の仕事依頼は一切断ることになり、娘たちの看病をすると自分も必ず病気になる。育児と家事と復職困難でノイローゼになり不眠と拒食になる。なるほど、ぼくは最低の父親だ。あげくに双曲性障害まで結婚末期には発症した。妻は「最低の夫でした」ともつけ加えればよかった。
母が「最低のパパだった」という以上、娘たちもその意見に同じないわけにはいかないだろう。長女と次女は内心はおのおの異なると思うが、母親に向かっては同意以外はない。

離婚による改姓、父親不在家庭。さらに将来に向けては娘たちに結婚話が起こった時にぼくのことはどう説明するか、という問題がある。病気(遺伝性が高い)は隠すか明かすか、姻戚関係に数えるか(親権者ではなくなったので、法律的には娘とは父娘ですらない)。
「死んじゃってる、ということにするのもよくあるみたいだけどね」と主治医のK先生は言った。ぼくは感心した。
「ああなるほど。それは気がつかなかった。死んじゃってるなら何も問題ありませんものね」
「おいおい」と慌てて、K先生。「お嬢さんたちを思うにせよ、自分で命を絶つことはないよ」
「自殺はしませんよ」とぼく。「年齢的に見て、この病気ならその頃には召されている見込みが高そうだ、ということです」
「…」
K先生は(自分から「死んじゃってる」話をしておいて)少し寂しそうな表情になった。どういうかたちであれやはり患者に死なれるのは想像するだけでも無念なことなのだろう。

ところで肝心の「油そば」だが、もう紙幅が尽きた。無念だ。