人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

清岡卓行『愉快なシネカメラ』

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『愉快なシネカメラ』

かれは目をとじて地図にピストルをぶっぱなし
穴のあいた都会の穴の中で暮す
かれは朝のレストランで自分の食事を忘れ
近くの席の ひとりで悲しんでいる女の
口の中へ入れられたビフテキを追跡する
かれは町が半世紀ぶりで洪水になると
水面からやっと顔を突き出している屋根の上の
吠える犬のそのまた尻尾のさきを写す
しかし かれは日頃の動物園で気ばらしができない
檻からは遠い とある倉庫の闇の奥で
銅製の猛獣たちにやさしく面会するのだ。
だからかれは わざわざ戦争の廃墟の真昼間
その上を飛ぶ生き物のような最新の兵器を仰ぐ
かれは競技場で 黒人ティームが
白人ティームに勝つバスケット・ボールの試合を
またそれを眺める黄色人の観客を感嘆して眺める
そしてかれは 濁った河に浮かんでいる
恋人たちの清らかな抱擁を間近に覗き込む
かれは夕暮の場末で親を探し求める子供が
群衆の中にまぎれこんでしまうのを茫然と見送る
かれにはゆっくりとしゃべる閑がない
かれは夜 友人のベッドで眠ってから
寝言でストーリーをつくる
(詩集「氷った焔」1959より)

 清岡卓行(1922-2006・大連生れ)は以前、戦後最高の恋愛詩と名高い『石膏』を紹介した(そして反響皆無だった)。37歳の第一詩集なので「氷った焔」は恋愛詩ばかりではなく、題材も表現手法も多彩で熟達した偉容を誇る。処女詩集とは刊行時点ではその詩人の全詩集なのだ。
『石膏』がどちらかといえば戦前の抒情詩人たちからの発展を感じさせるのに較べて『愉快なシネカメラ』はぐっと新しい。50年代の作品ながら、60年代詩人たちの奔放さを先取りしたかのような磊楽なノリの良さがある。清岡自身はランボーシュールレアリスム、朔太郎の「猫町」と「青猫」を影響元に挙げている。清岡と詩誌「ユリイカ」の初期からの盟友・那珂太郎が朔太郎でも「月に吠える」を挙げるのとは好対照といえる。
那珂の「音楽」では暗喩は現実に還元されない。一方『シネカメラ』は現実をありえない現象に逐次的に置き換えながら展開する。
 結果、50年代日本の都会生活の喧騒をよく表現した詩が生れた。犬猿の仲だった岩田宏の詩に似ているのは皮肉だ。