人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

清岡卓行「愉快なシネカメラ」(詩集『氷った焔』昭和34年=1959年より)

清岡卓行詩集『氷った焔』

昭和34年(1959年)2月・書肆ユリイカ
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「愉快なシネカメラ」

 清岡卓行

かれは目をとじて地図にピストルをぶっぱなし
穴のあいた都会の穴の中で暮す
かれは朝のレストランで自分の食事を忘れ
近くの席の ひとりで悲しんでいる女の
口の中へ入れられたビフテキを追跡する
かれは町が半世紀ぶりで洪水になると
水面からやっと顔を突き出している屋根の上の
吠える犬のそのまた尻尾のさきを写す
しかし かれは日頃の動物園で気ばらしができない
檻からは遠い とある倉庫の闇の奥で
銅製の猛獣たちにやさしく面会するのだ。
だからかれは わざわざ戦争の廃墟の真昼間
その上を飛ぶ生き物のような最新の兵器を仰ぐ
かれは競技場で 黒人ティームが
白人ティームに勝つバスケット・ボールの試合を
またそれを眺める黄色人の観客を感嘆して眺める
そしてかれは 濁った河に浮かんでいる
恋人たちの清らかな抱擁を間近に覗き込む
かれは夕暮の場末で親を探し求める子供が
群衆の中にまぎれこんでしまうのを茫然と見送る
かれにはゆっくりとしゃべる閑がない
かれは夜 友人のベッドで眠ってから
寝言でストーリーをつくる

(詩集『氷った焔』1959より)


 清岡卓行(1922-2006・大連生れ)は先に、戦後最高の恋愛詩と名高い『石膏』を紹介しました。『氷った焔』は昭和20年代、作者20代からの作品を集めてようやく37歳にして刊行された第1詩集なので、「石膏」のような抒情的恋愛詩ばかりではなく、題材も表現手法も多彩で熟達した偉容を誇っています。処女詩集とは自選されている場合でも刊行時点でのその詩人の全詩集でもあるので、『氷った焔』は詩集数冊分の内容を持った詩集とも言えます。「石膏」が戦後詩ならではの斬新な性愛詩とはいえ戦前の詩人たちからの業績を踏まえた発展を感じさせるのに較べて、この「愉快なシネカメラ」はいかにも戦後詩ならではの新しさを感じさせます。1950年代の作品ながら、より奔放な1960年代詩人たちの作風を先取りしたかのような磊楽な乗りの良さと軽やかさがあります。清岡自身はランボーシュールレアリスム萩原朔太郎の『青猫』と萩原唯一の短編小説「猫町」をくり返し論じましたが、また高村光太郎、萩原以降の口語自由詩の系譜を詩史的に位置づけ、小野十三郎金子光晴に戦後詩直前までの最大の成果を見る篤実な詩論家でもありました。清岡が萩原の詩集では『青猫』を重視するのは、詩誌「ユリイカ」の初期からの盟友・那珂太郎が萩原でも『月に吠える』を挙げるのとは好対照となしています。

 那珂太郎の『音楽』では暗喩は対応する現実には還元されません。一方、清岡の『氷った焔』では「石膏」でも「愉快なシネカメラ」でも暗喩には現実との対応があり、「~シネカメラ」では現実をありえない現象に逐次的に置き換えながら展開すています。結果、1950年代の日本の都会生活の喧騒をよく表現した詩が生れたのが「~シネカメラ」でした。「ユリイカ」の詩人仲間でも清岡とは性格的にそりが合わず、犬猿の仲だったと飯島耕一が証言している岩田宏の作風に近い皮肉なユーモアがありますが、岩田宏攻撃的なユーモアをたたえた詩作を続けるも40代で詩作を離れたのに対し、清岡卓行の詩作ではこうした作風は以降影を潜めてより端正で抒情的な傾向に向かい80代の長命まで長い詩歴をたどります。これは「愉快なシネカメラ」のような皮肉な機知に富んだ作風は長くは続けられなかったということになるのかもしれません。