人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ドライヤー「裁かるるジャンヌ」

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フランス、1928年・サイレント・B/W・オリジナル94分・再編集版82分。日本公開1929年・邦楽座。
極北の一本だろう。この手口は後にも先にも一度きりしか使えない。他のドライヤー作品は静謐で突き放したロング・ショットと長廻し主体となっている。ベルイマンの60年代後期諸作に影響が見られるが、部分的なものだ。
物語はいたってシンプル、ジャンヌ・ダルクの宗教裁判。史実では一年半に及んだ審問を一日に圧縮して描く。例によって映画辞典から引く。

○裁かるジャンヌ'La Passion de Jeanne d'Arc'(仏・ソシエテ、1928) オルレアンの少女ジャンヌの物語は何度となく映画になったが、これは英軍に捕われたジャンヌが宗教裁判の結果火刑になるまでの終始を、クローズ・アップの連続という思い切った手法で描き出している。驚くべき主観描写とキャメラの活用で革命的な話題をもたらした。デンマーク出身のカール・ドライエル監督。ファルコネッティ主演。
(筈見恒夫「映画作品辞典」1954)

そう、この映画はほとんど宗教裁判の実況を登場人物の表情のクローズ・アップだけで描いているのだ(スチール写真参照)。例外的に法廷への出入りや卒倒したジャンヌの瀉血治療シーン、クライマックスの火刑と民衆の暴動などは普通の映画になる。
ひたすら続くクローズ・アップの法廷劇は閉所恐怖症な圧迫感をもたらす。顔面のシワやわずかな筋肉のひきつりまでが緊張を高める。主演のルネ・ファルコネッティは人気女性コメディアンだったそうだが(坊主刈りは被告人の証として映画冒頭に残酷に描かれる)表情だけの演技という難題は専門の映画俳優にはかえって粗が出るだろう。
詩人兼俳優時代のアントナン・アルトー(中)の出演も作品の価値を高めている。アルトーはその後間もなく入院、精神病院で生涯を終える。
ゴダールが「女と男のいる舗道」1962でヒロインが「ジャンヌ」を見るシーンを描いている。引用されるのはこの裁判のクライマックスをなす対話で、アルトー演ずる僧侶が「神は何を求めておられるのだ?」と問い詰めるとジャンヌが「…私の死」と答え涙をひと筋流す。見ているアンナ・カリーナも涙をひと筋流す。
おそらくこの作品は「戦艦ポチョムキン」(ソ連1926)への回答だった。しかしなんという回答だろう。