人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

西脇順三郎『体裁のいい景色』5

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全35篇と勘違いしていたが34篇だった。これが西脇順三郎(1894-1982)の帰国第一作、日本語詩の処女作になる。まず意図して外国語の直訳的文体を用い、さらに誇張している(「秋という術語を用いる季節が来ると」「一個の青年が」など全編にわたる)。これは日本の詩では従来禁じ手だった発想で、手法としてはパロディに当る。また題材も従来の詩では叙情的に扱われたものをヨーロッパ的設定から卑近に滑稽化している。早い話ふざけた代物なのだ。ダダイズム的な反知性、アナーキズム的な反体制とも違う。西脇の第一詩集「Ambarvalia」1934は西脇が師と仰ぐ萩原朔太郎から斬新さ、詩質の高さを評価されながらもディレッタント(趣味人)と批判もされ、それに応えて西脇は自作は正統的な萩原の発展であると主張している。

『体裁のいい景色(人間時代の遺留品)』

(29)
脳髄の旋転が非常に重い
そうして具体的に渋いのは海岸線である
太陽太陽が出るのである
香水の商売をしているヘブライ人が
ナギのいい砂漠の上に額をこすりつけて
礼拝する

(30)
《熱帯の孤島にある洋館の一室
中央にただひとり藤椅子の上に
船長の細長い顔した令嬢が座っていた
崇厳なる処女の無口とその高価なる大絨毯のため
一青年は紙煙草の灰を落す場所なく遂に
自殺をした》
なんたる猛烈たる日中であるよ
しかしそうでもないよ

(31)
死人の机の中から
紙煙草の銀紙で造った大なるボールを発掘した。
なんたるハイマートクンストであるよ

(32)
平らべったい山脈に
フロックコートをきて立つ
そうしてシノノメを待つ
三脚と杖は
実に清潔なる影をなげることになる
なんと偉大なる感情家で天然の法則はある

(33)
世界がつまらないから
泰西名画を一枚ずつ見ていると
遂に一人の癇癪もちの男が
郷里の崖に祝福を与えている

(34)
割合に体裁のいい景色の前で
混沌として気が小さくなってしまう瞳孔の中に
激烈に繁殖するフユウシアの花を見よ
あの巴里の青年は
綿の帽子の中で指を変に屈折さす
郵便局と樹があるのみ
脳髄はデコボコとして
痛い
(「三田文学」1926年11月・完)