人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Family Affair(家庭の事情)

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筆者は双曲1型の躁鬱病で、明らかに父には躁鬱の病相が筆者の物心ついた頃にはあり、伝え聞くと父方の祖父の生活も乱脈をきわめていたという。祖父はオーダーメイド時代の靴職人、父はオーダーメイド時代の洋服職人、筆者はオーダーメイド時代のフリーライターと、いずれも器用貧乏で時代遅れになる職人稼業を仕事に選んでしまう質だったのがわかる。父は40歳で洋服職人の口がなくなった。筆者も同じようなものだ。父の次の仕事が安定するまでの一年間は殴られない日はなかった。

結婚生活の間、実家となるべく親しくしていたのは娘たちのためだったが(もう行き来はしていないだろう。本当のおばあちゃんではないことも妻はもう明かしただろうか?)、父が突然「…(筆者)には済まなかったな」と言い出したことがある。
「いいんだよ。育ててくれて感謝してる」
ととっさに切り返したのは、父がなにを「済まない」と言い出したにしろ、もうそんなことは忘れてしまいたかったからだ。娘たちはそんなことを知らないで育ってほしかったからだ。
ただ、娘たちに情緒的な異常が見られたら、ぼくの病状が遺伝的資質として参照されるだろう。妻は別れたパパが躁鬱病精神障害者だとまでは娘たちに明かしてはいまい。やがて恋愛や結婚となると別れた父親の素性が問題になってくることも大いにある。

「死んでいることにする、というのもあるようだよ」と主治医のK先生。
「それはキツいですね」
と苦笑したが、今だって死んでいるのと同じだ。扱いとしては変わらない。
精神障害者であるために遠隔地に住まわせられ、死んでしまったということになっている人たちが実際にいるというのは気持を暗くさせる。

昔の仕事仲間で、実家は地方の裕福な素風家なのだが、お母さんが精神病の治療も受けさせず悪化して座敷牢に禁固されている、という人がいた。
「もうおれの顔もわからなくてさ…」
よほど慢性化した統合失調症なのだろう。入院させれば-回復は難しいにせよ-社会的な生活もある。適度な患者間の交流が良い刺激となって悪化を食い止める可能性も大きい。衛生や栄養も座敷牢よりはよっぽどいいだろう。島崎藤村の「夜明け前」を思い出した。彼の実家は藤村と同郷だ。伝統なのだろうか?隠さなければならない風土がまだまだあちこちの土地にはあるのだ。