○コメントと断片より
(1)こんにちは。掲載した立中・氷見ともどもポートレイトを「清々しい」とご感想いただき、改めてぼくはこの詩人たちを愛惜していたんだなあ、と思いました。若くして亡くなった人たちですが、ぼくはもっと若い歳から読んで、今は彼らよりはるかに年輩です。ふたりとも20世紀どころか、生涯を昭和の中だけで送った詩人たちなんですね。そう指摘されると、生き方自体が清々しかった彼らも浮かばれる気がします。-現代詩という、少々やっかいな題目ですが、引き続きお読み頂ければ幸いです。
(2)こんにちは。ぼくもそうあろうと思いながら、日ごとのひとつひとつに丹精を込めて生きているかは心許ないことです。せめてそうありたい。焦りがさまたげになるのなら、大事なことを見きわめること。ぼくなどまだまだ若輩で、その途上にいます。
(3)おはようございます。ぼくの母なんかも農家の娘だったが、足の皮は厚かったよ。病気もあるとしても、親の世代の日本人は今の日本人なら病気を疑うくらい角質化した皮膚を持っていた。魚の目に悩まされている人なんか昨今は滅多にいないよね?
死については…ひとつとして同じ現象はないだろうね、愛みたいに。
(4)フランシス・ベーコンだ(画家じゃなくて17世紀の哲学者の方の)、集団創作だ、と昔から言われてきた話ですから、「サルガッソーの海」同様いまさら腹をたてる本国の人はいないんじゃないですか。クリスマスがキリストの誕生日じゃない(これは確実)とはやや違いますが、特定の作者ではなく複数のテキストを編纂したもの、その名義が座長であるシェイクスピアという説が主流です。あえて個人の真筆者を立てたのは、ご感想通り歴史的風景の再現が映画の目的だからでしょう。
日本では「源氏物語」の筆写による集団創作(確実)、西鶴の真筆は「一代男」のみで他は門弟の作品(実証されず)などがあります。代筆、代作などウンカのようにある創作の世界。例えれば、シェイクスピアは当時の映画監督のようなものだったと考えるのが順当だと思います。
(5)腿から足先までの写真?ああ、脚がどうこう言ってたのはそれか。いやらしいというより、グロテスクそうだね。改名は似たHNの人が出てきたってことか。それはやむを得ないな。電車の席を譲るようなものだね。