人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

続ビートルズ、その他のエッセイ

○コメントと断片より

(1)こんばんは。ビートルズは何度、何十年聴いてきても飽きないものですね。ぼくも中学生の時最初に集めていったのはビートルズのレコードで、多感な時期(しかもジョン・レノン生前)にビートルズの音楽に出会えたことを幸運に思っています。

(2)「人間の愚かさ」への寛容というのは、なによりぼくが愚かな人間だからです。正確には人が愚かになるのは他人との関わりにおいてであり、ぼくが医療機関と食品調達以外に引きこもりをもって療養生活を送っているのも消極的な対症療法です。他者への寛容もその条件なのはひとつの対価です。ぼくが選んでいるのは孤独と自由、希望があるとしても動かせないのは先の二つです。

(3)記事の通り北欧諸国(東欧もですが)はローカルながら戦後ジャズの移入に熱心で、60年代末に新しいロックを模索したミュージシャンたちも基本的にジャズの素養を備えていました。プレジデンティはフォーカスと比較され、ウィグワム、ポーヨラは世界的ヒットを出しています。70年代ロックは現在よりも国際化が盛んだったと言えます。
クラウス・シュルツェについて日本で一番網羅的でまとまった文献は「ジャーマン・ロック集成」(マーキームーン社・94年)、雑誌「レコードコレクターズ/クラウス・シュルツェ特集」(ミュージックマガジン社・2010年3月号)でしょうか。ぼく自身もシュルツェは70年代作品だけで満腹なくらいなので、デジタル・シンセ転向後のアルバムは違和感を覚えます。
90年代に入って未発表10枚組3セット、25枚組、50枚組の連発や、10作を越えて今でも続く「ザ・ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーグ」シリーズなど、デジタル化によってますます多作になったシュルツェはリスナーの許容量を越えている、それが近年の作品の評価を低下させている、というのが実状でしょう。これはシュルツェの古巣タンジェリン・ドリームにも言えることです。

(4)疲れてるみたいだね。もっともな話で心配する。でもぼくには10代や20代で死んだ友人が何人かいる。どれだけ苦しくても彼らは生きたかっただろうと思うと弱気になってはいられない。ぼくはもう彼らの父親ほどの年齢だ。中国の「四苦」は、生まれて、老いて、病んで、死ぬ、を指す。生まれてきたことが「苦」の始まりなのは命を持つものすべての宿命だからね。