人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(16)フランツ・カフカ小品集

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カフカフロイトの同時代人でもあるが、被害妄想を作品化したこれなどはやはり医学ではなく文学的アプローチを感じる。
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『隣人』

私は全く独力で事業をやっているようなものだ。控え室にはタイピストと会計の女子社員、私の部屋には書物机と金庫と会議用机とソファーと電話。これがすべてだ。私は年はまだ若いが、仕事は次から次へとやってくる。不平はない。
隣の小さな控え室にこの正月、若い男が越してきた。私が借りようとためらっていた部屋だ。扉には「ハラス商会」とある。どうやら私と似たような商売らしい。これからという青年で、先々の見込みもありそうだが、差し当り資産もなさそうだから信用取引は推奨できない、という話。第三者が教えてくれるのは大体こんなものだ。
よく階段ですれ違うが実に素早く、顔をしみじみ見たことは一度もない。事務所の鍵はもう手に持っていて鼠のように素早く消える。すると私は「ハラス商会」の看板の前にまたしてもたちどまる。
薄い壁は真面目な男には具合が悪く、不正直な男には好都合だ。私の電話は隣の部屋との仕切りの壁にあるが、仮に反対側の壁であっても隣室には筒抜けだろう。私も電話で得意先の名を出さないように注意はしている。けれども格別に狡猾でなくても会話の内容から推定できてしまうだろう。時には不安のあまり通話しながら電話の周りを踊り回ってしまう。しかしそれても商売上の秘密漏洩の防御にはならないのだ。
こうした事情から私の商売上の決断力が鈍り、声まで震えてくるのもやむを得ない成り行きだろう。私が電話をしている間、ハラスは何をしているか?あえて極端に言えば-ことをはっきりさせるには誇張が必要な場合もある-ハラスには電話など不要とも言える。奴は壁際にソファーを寄せて寝そべっていればいい。私はベルが鳴ると電話に走り、得意先の注文を聞き、重大な決断を下し、相手を納得させるために長々と説明したりする-だが何よりも悔しいのは、その間にも壁の向うのハラスにまんまと情報を提供してしまうことだ。
おそらく奴は通話の終りまで待ってはいまい。おおよそ見当がつくとすぐに立ち上がり、例によってさっさと街に飛び出しているだろう。私が受話器を置かないうちに、はやくも私への敵対行動を始めているのだ。
(遺稿集「ある戦いの描写」1936)