人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(28・終)フランツ・カフカ小品集

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1912年、カフカ29歳の年に執筆され、1915年にライプツィヒの出版社から刊行された『変身』はカフカの生前発表作ではもっとも長く(翻訳文庫版で90ページ)、没後発表の三大長編「アメリカ」「審判」「城」に較べても格段のポピュラリティを持つ。冒頭2ページをご紹介する。
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『変身』

ある朝、グレゴール・ザムザが何か気がかりな夢から目を醒ますと、自分がベッドの中で一匹の巨大な毒虫に変っているのを発見した。彼は鎧のように固い背を下にして仰向けに横たわっていた。頭を少し持ち上げると、アーチのように膨らんだ褐色の腹が見える。腹の上には横に数本の筋がついていて、筋の部分は窪んでいる。腹の膨らんでいるところに掛かっている蒲団は今にもずり落ちそうになっていた。たくさんの肢が彼の目の前に頼りなく動いていた。胴体の大きさに較べて、肢はひどくか細かった。
これは一体どうしたことだ、と彼は思った。夢ではない。見回す周囲は、小さすぎるとはいえ、とにかく人間が住む普通の部屋、自分のいつもの部屋であり、四方の壁も見慣れたいつもの壁だ。テーブルの上には布地のサンプルが雑然と散らばっている-ザムザはセールスマンなのだ-テーブルの上の壁には絵が懸けてある。ついこないだ、雑誌のグラビアから切り取って、金箔の額に入れて飾った絵だ。毛皮の帽子をかぶり、毛皮のボアをつけた女性がひとり、きちんと椅子にかけて、大きな毛皮のマフの中にすっぽり差し入れた両腕を前に構えている。
それからグレゴールは窓の外を見た。陰気な天候は彼をひどく滅入らせた。-トタン屋根を打つ雨の音が聞こえる。もう少し眠ろう、そしてこんな馬鹿げたことはすべて忘れてしまおうと考えたが、しかしそれは実行不可能だった。なぜかというと、グレゴールは右を下にして寝る習慣だったが、現在のような身体ではそれは出来ない相談だった。どんなに一生懸命になって右を下にしようとしても、そのたび身体がぐらぐら揺れて結局元の仰向けに戻ってしまう。百回は試みただろうか。その間も目はつぶったままだった。目をあけると、もぞもぞ動いているたくさんの肢がいやでも見えてしまうからだ。しかしそのうち脇腹のあたりに、これまで経験したことのない軽い鈍痛を感じ始めた。そこで仕方なく右下に寝ようとする努力を中止した。
(短編小説『変身』1915)