人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

生理になった男

(アニメ「戦×恋(ヴァルラヴ)」2019の一場面より。
下乳を洗うヒロイン。巨乳は大変ですねえ(^^;)
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 たしか記録的な猛暑だった7、8年ほど前の夏でした。私は双極性障害(1型・障害等級2級)でメンタル・クリニックに定期通院していますが、双極性障害(いわゆる躁鬱病)は安定時には鬱なので、気候が精神状態や体調にもろに反映します。その夏は6月頃から真夏日と熱帯夜が続き、精神状態は安定の鬱でしたが食欲不振と不眠に悩まされました。主治医に相談して、睡眠導入剤の増量に加えて食欲不振の回復のためにワイパックスという薬を普段の精神安定剤と調整して服用することになりました。

 2週間服用し続けると食欲不振は回復して、不眠にも悩まされなくなりました。クリニックには隔週で通院しています。薬も引き続き増量した睡眠導入剤ワイパックスを服薬することになりました。不眠と食欲は改善しましたが、何か調子がおかしい。服薬1か月目の受診でふたたび主治医に症状を相談してみました。食欲は回復したけれど、気分や体調がちょっとおかしくなってきたのです。

 「鬱でも躁でもないんですが、何だかずっとそわそわした気分で、妙に涙もろいくなってます。妊婦でもあるまいしテレビで動物の出産シーンなんか観ただけでも涙が出てくるし、体の調子も何かおかしい。髪の毛の伸びが早いし、普段は食べない甘いものが食べたくなるし、顔まで何だかつやつやでふっくらしています。それに着替えや入浴の時に服やタオルが胸に当たると痛くて、触ると乳首まわりにしこりができていて、まるで第二次性徴期みたいな感じです」

 「えっ?それじゃ乳汁出ていたりしていまいね?」「乳汁!?出てませんが……」「そのうち出てくるよ。今飲んでるワイパックス中止だ」「食欲不振回復の薬ですよね?」「あれは女性ホルモンを分泌させるんだ」「それで食欲が回復する効果があるんですか」「その代わり副作用で体や気分が女性化するんだ。生理中の女性と同じ状態になってる」「止めればすぐに戻りますか?」「いや、そうなったら抜けるまで2、3か月かかる。飲み続けたら本当に乳汁出てくるよ」

 幸い服薬を中止しても夏が終わるまで食欲不振がぶり返したりはしませんでした。その代わり情緒不安定なめそめそ感や乳首のしこりは2~3か月間続いたので、夕暮れになると何だか私悲しいわと思考言語まで女性化していたりして、生理中の女性とはこういうものかとまさかいい歳をした男が体験することになるとは思わなかったです。別れた前妻がそういえば妊娠中ずっとこんな具合だったなあなどと、これまでつきあった女性の生理中の挙動を思い出していちいち納得したりしました。もちろんドーピングによって起こった男の擬似生理なので本当の女性の生理の時の体調や気持が理解できたなどと思い上がった勘違いはできません。普段は乾燥肌気味なので顔がつやつやするのは助かりましたが、ざわざわ落ちつかない気分や乳首が敏感で痛いのには参りました。女性ホルモン過多になった男のオネェ気分というのも存分に味わったので、心と体の違和感を自分でも滑稽に感じているうちにようやく薬が抜けました。

 同じクリニックに通い続けているのでその後に食欲不振におちいった時にはワイパックス以外の処方になりましたし、効き目は人それぞれでしょうけど、向精神剤にはワイパックスのようにホルモン分泌を活発にするのが治療効果になる種類の薬もあるというのを身をもって知った、しかもてきめんに効果があったのはちょっとした教訓になりました。ちなみに食欲昂進効果もてきめんで、3か月で5kg体重が増えました。身長170cmで50kgだった体重が55kgになったので痩せ気味から健康的な平均体重の範囲になったのでいいのですが、じょじょに増えて現在体重60kg前後で安定したのはワイパックス効果のなごりです。ただ3か月で5㎏は急激だったので一時的に高血脂症になり、内科からの成人病治療も受けることになりましたが。

 ちなみにアメリカの作家フィリップ・ロス(1933-1988)の全米大ベストセラーになった『ポートノイの不満』(1969年、日本語訳1971年)と『男としての我が人生』(1974年、日本語訳1978年)の間に、フランツ・カフカ(1883-1924)の『変身』(1915年)のパロディ、その名も『乳房になった男』(1972年、日本語訳1974年)があります。ある朝目が醒めたら巨大な乳房に変身していて身動きも取れなくなった男のモノローグ、という世にもばかばかしい長編小説で、さらにこの主人公の日常を描いた続編『欲望学教授』(1977年、日本語訳1983年)もあります。ロスは情けない男を描いたら天下一品だった小説家で、女性コンプレックスからノイローゼになりオナニーにふける主人公が精神科医に自分の性遍歴を打ち明ける体裁の『ポートノイの不満』以降の上記の作品は現代アメリカ人男性の性的コンプレックスをテーマにしたとても面白い小説です。私は10代から20代にかけて愛読していましたが、今読み返したらもっと骨身にしみるのではないかと思います。
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 フィリップ・ロスユダヤ系の生まれの作家で、ロスより4年先の生まれのアンネ・フランク(1929-1945、『アンネの日記』の著者)へのコンプレックス(プロの作家の自分が一生かかっても15歳で亡くなったアンネの足元にも及ばないのではないか)をつづった『ゴースト・ライター』(1978年、日本語訳1984年)という長編小説もありました。おととしロスは鬼籍に入りましたし(実は今調べて初めて亡くなっていたのを知りました)、20冊あまり刊行されていた翻訳書も大半は絶版になっていますが、フィリップ・ロスの小説は日本でいうと小島信夫吉行淳之介野坂昭如筒井康隆あたりの作風の、男が読めば苦笑しながら身につまされ、女性の読者には男性の性的コンプレックスがよくわかって男を見抜く力がつく、図書館か手頃な価格の古本で見かけたら一読して損はない、楽しめて役にたつ良書です。しめくくりは読書ガイドになってしまいましたが、これが男の照れ隠しというものです。