昨年やり残したのがイタリアの作家カルロ・エミリオ・ガッダ(1893-1973)と川端康成(1899-1972)の再読で、ガッダは70年代に翻訳が4冊あり処女作から晩年の代表作まで展望できる。一方川端も没後に発見・刊行された処女長篇と未完の遺作長篇が手元にあり、代表作を収めた文学全集の川端の巻がある。
ぼくの年末恒例の読書はボードレール全集と高村光太郎選集で、別れた妻にも笑われたものだった。実は高村は退廃を抱え込んだ詩人で、それを隠蔽しながら生きていた。ボードレールは退廃を痛烈に批判しながら自虐に身を任せて狂死した。そんな具合に並べて読むといっそう各自の問題点が理解しやすい。萩原朔太郎や西脇順三郎ではこうはいかない。金子光晴は完成しすぎ、三好達治は重すぎる。年末に読む本、というのもなかなか難しいのだ。
ガッダと川端の親近性は以前から気になっていた。意図的に著作年表や経歴を操作した痕跡があること、抹消作品の異常な多さ、作品発表に極端にムラがあり大半は未完のまま刊行していること、しかも再刊の際に平然と増補したり削除したりしていること。
どんな作家も自作の添削は初出から単行本化する際や、年月の経った再刊にはある程度見られるが、ここまで徹底して、代表作すら未完の例はガッダと川端くらいしかない。ガッダは「悲しみの認識」1963(執筆1938-1941)・「メルラーナ街の恐るべき混乱」1957(執筆1944-1957)の二大長篇が未完だし、川端の「雪国」1948(執筆1935-1948)などは1935年に未完のまま刊行してさらに加筆。さらに「千羽鶴」1952・「山の音」1954・「みづうみ」1955なども未完。好評を博した新聞連載小説「東京の人」1955(全4巻)などは作者生前の全集では続篇2巻が抹消された。
ガッダの処女長篇「ラ・メカニカ」1970(執筆1924-1929・画像1)の執筆年と刊行年の開きもすごいが、川端の処女長篇(従来は「浅草紅団」1930とされていた)「海の火祭」1979(新聞連載1927・画像2)は単行本化まで52年かかったわけだ。さらに最後の長篇「たんぽぽ」1972(執筆1964-1968)はノーベル文学賞授賞で中断し、作者の不審死(72.4.16)で刊行された「新潮」増刊号(画像3)に一挙掲載の後単行本化された。さあ、気合入れて読むぞ。