人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

闘病生活の始まり・後編(連作12)

(連作「ファミリー・アフェア」その12)

「パパの歯、イーッてしてみて」
と誰より気にしていたのも長女だった(または、妻と次女は見て見ぬふりだった)。
「パパの歯は病気なんだ。恥ずかしいから見せられないよ」
「パパはなんで病気でもお医者さんに行かないの?おかしいよ」
と素直な長女は言った(長女の疑問とその感想は、例えば「パパとママは結婚する前どうしてたの?」「別々にひとりで暮らしていたよ」「どうして?ひとりじゃさびしいよ」だった。保育園の卒園式の発表でも「妹とケーキ屋さんかお花屋さんになります」だった)。
そうだね、そのうち治すね、と長女に答え、その日も遅い妻の帰宅前に姉妹の食事、翌日の仕度、入浴を済ませて寝かしつけ、帰宅した妻に夕食を出して民営化移行の郵政の厳しさを聞き、それから受診結果を報告した。妻はひと息ついて(やっとその気になったのね、と表情が語っていた)、
「今の貯金なら何とかなるわ。あなたは歯を治して」

だがぼくは治さなかった。ようやく治療を受けたのは離婚後にひとり暮らしになり、精神疾患の診断から生活保護医療に切り替わってからだった。
遠出は辛いのでいちばん近い歯科を訪ねた。生活保護医療は引き受けてくれる医院と引き受けない医院があるが、快く引き受けてくれた。主治医のN先生も絶句していたが、
「やってみましょう、ぜんぶ保健で。メンタルの先生に歯科治療しても大丈夫か訊いてみてください」
OKだった。週に2、3日通って半年間で全歯が義歯になった。3分の2ほど進んだ頃に、
「ようやく見えてきましたね。こんなフルマウス治療は滅多にないので実はためらいもありましたが、何とか治療完了の見込みがつきました。学会発表ものですよ」と励まされた。精神科の主治医に報告すると、
「学会発表は匿名だから大丈夫だよ」
と笑ってぼくの歯並びを眺めていた。

治療が完了した日、
「2年かかることを半年でやり遂げました。大変でしたでしょう。ありがとうございました」
と逆に礼を言われたのには恐縮した。いえ、先生とスタッフの皆さんのおかげです。
「でも神の手で造られたものと人の手で作ったものでは、人は及びません。月に1回メンテナンスにいらしてください。そうすれば10年から30年は持ちます」
と言われた。
だがやはり最大の懸念は精神疾患にあった。