人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

病状の推移・後編(連作14)

(連作「ファミリー・アフェア」その14)

入院から10日間は寝たきりだった。24時間点滴で食事もなく、喉が渇くと氷を含ませてもらうか吸い飲みでひと口程度(吸い飲みの実用性を初めて知った)。昼も夜もわからず、夢と現実、妄想の区別がつかず(再び裁判されたり、家族旅行をフイにしたり、実験的な精神医療の被験体にされたり、ナースコールの押しすぎで病院の倉庫に押し込まれ点滴を自力で抜いて脱出したり)、なぜか市役所に住民票を取りに行かなければならないと思い込み看護婦に訴えたりした。
掛け布団すら自力で動かせず、寝返りすらできないが(床擦れができた)、徐々に意識は落ち着いてきた。検査室への移動も最初は担架だったが、車椅子まで快復してから食事もとれ、毎日を回想と反省ですごした。ようやく自力で歩けるようになると、別の病棟に移された。

そこは男女混合・約40人で、月にひとりの退院があるかないかの慢性患者病棟だった。女性患者同士の喧嘩は凄まじかった。
作業療法は午前か午後のどちらかしか選べないので、患者間トラブルを避けて四人部屋で外泊練習の時持ってきた一巻本全集「ザ・漱石」と二巻本の「カミュ」を退院までに2回読んだ。再読は大学以来で、「こころ」「道草」「明暗」は初めて通読した。「異邦人」と「ペスト」も監禁状態の人間描写に感じ入った。

食事はおいしかったが、食後の服薬には恐怖を感じた。ぼくの処方は2錠だったが、誰もがその10倍近い処方を服薬しており、下剤を飲まされていた。
男性患者のトラブルは煙草の貸し借りくらいだったが、ぼくは入院15年の女性患者に求婚され、別の女性には毎朝タロット占いされて「ロマンチストですね」と言われていた。自制心のきかない女性には病院や患者に対する爆発的な不満をぶちまけられた。病棟でぼくの翌月に退院予定なのは男性のKさんだけだった。

退院前日に、A先生から退院後の治療計画について伺った。再びK先生のクリニックに通う。だが病名は意外だった。それはK先生の診断だった。ぼくは質問したが、
「体は治したから、あとはクリニックにきちんと通ってね」
それで出てきた。ちょうど盆休みで休診が続くから、書店や図書館で自分の病気を調べた。結婚生活中にさかのぼっても思い当たることばかりだった。これを話しておくべきだった。ぼくは躁鬱病だったのだ。