人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ひな祭り日記・3月3日日曜・晴れ

ぼくは祭事の習慣のまったくない家庭に育ったので鎧兜もひな人形も鯉のぼりも無縁だった。近所に神社があったから七五三のお参りはした覚えがあるが、小学校入学祝いの延長で正装して記念写真を撮りに行った程度でしかない。ただしぼくの年代は最後のベビー・ブーマーだから児童数の人口比は多く、シーズンになるとひな人形や鎧兜のテレビCMが一日中流れていたのを思い出す。

ひな人形や鎧兜にこめられた思いを初めて知ったのは中学校の国語教科書で読んだ芥川龍之介の短編「雛」で、いかにも作り物めいた作品だがこういう話を書くと芥川は本当に巧い。ひな人形にこめた思いと没落感が哀切に描かれており、こういう心情は確かに存在するのだな、と、まるで無縁なぼくにすら説得力があった。

ぼくより先に結婚した弟は子供はふたりとも男の子だが奥さんの実家の風習が強烈なもので、鎧兜は50万円以上、端午の節句は親族中の鯉のぼりを持ちより本家の田んぼの端から端まで吊り下げる、というもので、弟は意地をはって鯉のぼりの陣頭指揮(持ち回り)を買って出た。幅50メートル間隔に棹を立てて集めた鯉のぼりを吹き流す。「やったよ」と弟は自慢気だった。それはすごいね、とぼくは言った。

別れた妻のご両親が健在かどうかわからないが、もしお元気なら今ごろ四畳半を優に占拠する巨大な雛壇を飾ってらっしゃるだろう。もともとこれは別れた妻の雛壇で、妻のお兄さんのところのお嬢さんか妻とぼくの長女が継ぐのかわからないが、どちらもマンション住まいなのでこんな巨大な雛壇は飾れない。田舎のご両親の家ですら十畳の客間を占拠しているほどだ。

長女を里帰り出産した妻を赤ん坊が三か月目に迎えに行って、季節はもう秋だったが居間と客間を開け放してどかん、と飾ってある季節外れの雛壇を見た時には意表を突かれた(お兄さんのところは男の子で、女の子が生まれたのはうちの次女よりも後だった)。妻のお母さんの雛への愛着は、その後年末年始やお盆休みに実家を訪ねるといつも雛壇を出して孫娘を迎えていたのでもわかる。長女と次女は人形遊びしたがって叱られた。

長女と次女の通う保育園の雛壇で毎年記念写真を撮ったが、家にはひな人形はなかった。離婚してから手のひらサイズの雛を見つけて贈った。別れて贈るひな人形はぼく自身の身代わりのようなものだった。